敗戦14年後からの広島の戦争(3) [戦争について]
敗戦14年後からの広島の戦争(3) by元教師@広島
1945年の敗戦後14年たった1959年。私は原爆の爆心地から1kmもない場所であり、そこに新築された病院で生まれた。物心がついた頃は復興は大方終わっていたが、漫画家こうの史代氏の「夕凪の街 桜の国」に描かれていたような、川沿いのいわゆる原爆スラムは残っていた。近くにできた児童図書館に行くついでに家々の間を駆け回って遊んだものだ。
父も母も祖父は、戦争についても原爆についてもほとんど語らなかった。私はときおり遊びに訪れる祖父の妹、大叔母の顔下半分のケロイドにも明るい笑顔に何の抵抗もなく。お絵描きの好きな普通の児童として育った。
1973年、中学校二年生のとき「週刊少年ジャンプ」で「はだしのゲン」の連載が始まった。当時の「ジャンプ」はすでに愛読者ランキングによる連載継続判断制を敷いていた。そんな中でも「はだしのゲン」は、かなり粘り強く連載された。当然、私は衝撃を受け原爆について家族に問いかけたが、口は重く語ることは無かった。
しかし、思春期前期の少年にとって「はだしのゲン」は、十分すぎるほどのスターターとなった。中学校の平和学習でも被爆者である先生方がよく脱線して話す、被爆当時の話しや未来への話に目を輝かせて聞くようになった。
「次に戦争が始まったら、ワシは自転車に乗って逃げる」
そんなふうに面白おかしく話してくれたが「再び始めたらおしまいだ」という暗喩であることは少年であっても十分理解できた。1983年から教師の道を歩む私にとって、小さな種火になったことは間違いない。
「はだしのゲン」は週刊少年ジャンプから一旦姿を消す。その後、各誌を旅して1987年、私が新米教師となった3年目に第1部の完結を迎える。だが、すでに学校現場には暗雲が忍び寄っていた。
(以下次回。
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