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編集はプラモデルではない?設計図通りに行かない。 [「沖縄狂想曲」]

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編集はプラモデルではない?設計図通りに行かない。

本日も夕方までカフェで資料読み。次の展開が閃いたので戻って編集。というと、??と思う人もいるだろう。編集をプラモデルのように決められた通りに組み立てて行く作業と考えるからだ。劇映画ならまだその考え方でも間違いではないが、ドキュメンタリー映画は違う。

カレーライスを作るつもりでも、できるとハヤシライスかもしれない。カツカレーがトンカツ定食。親子丼がカツ丼になることもある。いや、ラーメンがそうめんになることだってある。作業している内に、よりふさわしい展開が見えてくるのだ。料理で言うと分かりやすいが、ネーミングできないものになることもある。

自分がどうしたいか?ではなく、作品が声を上げ始める。その声を聞き、それに従って編集する。僕の意思ではなく、作品がどう成長したいか?を尊重することが大事なのだ。と言うと「頭おかしいよ」と思うだろう。だが、絵も、彫刻も、音楽も同じ。作家が作るのではなく、作品が生まれくるのを手伝いのが作家なのだ。(テレビ局では企画書通りに
編集しないとダメだけどね!)

その意味で昨日は入口が見つかった。本日はプロローグ部分を編集。それぞれに相応しい記録映像を選び、並べる。ここは沖縄戦のおさらいパート。パート1で1時間45分で描いたものを15分くらいにする。同時に今回の世界に観客を引き込み導入部であり、「1」とは違うテイストで進行する。気づくと「3」の世界に連れ込まれ、見入ってしまう構成だ。

が、相変わらず、1枚のスチール。数秒の記録映像を探すだけで30分1時間とかかる。なかなか前へ進めない。ベストでなくても、とりあえず近いものを探しラインに並べる。そのことで「3」の世界観が見えてくるのだ。それを把握することが編集者として大事。その匂い、テイスト、カラーを掴んで、最後まで映像を繋いで行かねばならない。

本来はそんなふうに映像を繋ぐだけだが、僕はすぐに音楽やテロップ、ナレーションまで考えてしまう。本来、その辺は後でいいのだけど、気になる。それによって編集も変わってくる。音楽で通すか? 音楽なしで行くか? ナレーションで説明か? テロップで説明か? その辺がまだ見えないので気持ち悪い。


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