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沖縄戦プロジェクト通信ー第1回取材、辺野古に行ってみた! [2018]

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沖縄戦プロジェクト通信ー第1回取材、辺野古に行ってみた!

十分な勉強はできていないが本で10年勉強してもしれている。そんなことで1回目の撮影がスタートする。といっても取材+撮影。まずはいろんなところへ行き情報を集め、知ることが大切だ。

映画、ドキュメンタリーでも、題材となる部分しか知ろうとしない人がいるが、その周辺も勉強しないと、本丸の姿は見えて来ない。日本に来た外国人が東京だけ取材した「これが日本だ!」と思ったら、大間違い。東京を支える地方があっての日本。それを対比することでリアルが見えくる。

福島第1原発の事故でも、東京では「福島の人、可哀想...」という人が多かったが、あの原発は東京に電気を送るために稼働していたのだ。そんなふうに福島は東京のために、危険な原発を受け入れ発電。なのに東京は大きな直接的被害がなく、福島は大変な事態となった。が、東京に住む多くの人たちは同情するだけで、その事実を知らない。

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同じように戦闘があった地域だけを取材しても、沖縄戦は見えて来ないだろう。で、1回目は余裕もあり、取材対象者探しもあったので、直接作品には取り上げない場所にも訪れた。

その1つが辺野古。東京にいても、この問題は伝わってくる。不勉強だった僕でも辺野古基地移設問題は知っていた。簡単に説明すると、普天間にある米軍基地を返還する。その代わりに日本は辺野古基地を作り、それを代替地として提供するというもの。その工事を政府は、地元の反対を押し切って強行しているのである。

その現場に行ってみた。那覇から車でかなりの距離。直接現地までは車で行けない。近くにある駐車場に車を止め、そこで乗り合いバスで移動する。

基地建設現場の前には多くの人が座り込みを続けていた。地元新聞社の記者さんがいたので、話を聞いた。ら、グループのリーダーの方を紹介してくれて、その方からも話を聞いた。地元の事情、政府側の思惑。いろんな話を聞かせてもらった。

照りつける真夏の太陽。物凄い暑さ。座り込みをするのはかなり高齢な方が多い。おじいちゃんやおばあちゃんがいっぱいいる。僕らスタッフは30分でギブアップしそうな温度。そんな場所で座り込みが続いている。

「監督ですか?」

と声をかけられた。沖縄に知り合いはいない。誰だろう?若い男性だ。その方、もともとは東京にいて「朝日のあたる家」を応援してくれた方だった。今は沖縄に住み。辺野古等の問題を発信しているという。ジャーナリストや記者というわけではない。個人で活動でしている。凄い。そんな方がいるから、東京にいても辺野古の映像を見たり、テレビが伝えない情報を知ることができるのだ。感謝。

辺野古のことはその後、いろいろ勉強した。そして三上知恵監督のドキュメンタリーも3本見た。僕が行ったときは大きな衝突や混乱はなかったが、実際に行くと、その現実を体感する。近所にトイレはない。車が必要。でも、駐車場までかなりの距離。猛烈な暑さ。日陰さえなくなる時間がある。そんな中で抗議の座り込みをする地元の人々。後日、鳩山由紀夫元総理も参加したニュースを見た。

そんな現実も見ながら沖縄取材は続く。

(この記事は1年以上前の話を書いたものです。プロジェクトは次々の段階。順番に掲載させてもらいます)


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