考える力を捨てないと、会社員は務まらない?−2月9日 [「沖縄狂想曲」]
カタギの友人。多くが同じ反応をするので、驚いた。映画が公開され、何人かがお祝いの連絡をくれた。「元気そうだね。完治したんだ!」と言う。理由を聞くと「声が元気そうだし!」と答えた。声が元気そうなら完治したのか?
それは風邪とかの、よくある病気の時だ。見た目は健康でも、脳の一部は死に、心臓機能は危険地のまま。両目ともに半分しか見えない。体力もなく、日帰りで行ける場所に2泊もしてしまう。それらの症状で今も苦しんでいる。
声が元気だと「完治したんだ!」無神経なことを言う友人が多い。体はまだボロボロ。生活にも支障をきたす。なのに「おめでとう」「もう大丈夫だ!」とか言われると、ため息が出る。この先、一生傷害を背負って生きて行かねばならないのに「おめでとう」はないだろう。
事情を知らないなら理解できる。が、すでに事情を詳しく説明している。一生治らない傷害を抱えてしまった。なのに「もう大丈夫だな」なぜ、そうなるのか?その種の発言をするのは全員会社員。何度も書いたが、いくら説明しても理解されない。
逆に映画、飲食業の友人は申し訳ないほど、気遣いをしてくれる。映画人は俳優やスタッフのことを考えないと、撮影ができない。飲食業はお客の気持ちを大切にする。対して会社員は考える作業を放棄しないと、務まらない。
上から無理難題。客からは必要以上の要求。対応してると心も体も壊れてしまう。だから、考えるのをやめる。でないと会社員は務まらない。だから、病人の気持ちも考えない。当然、理解できない。悲しい話だ。
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