脳梗塞の話をもう少し、しよう!=脳が死に生きるのが苦しい。−1月17日 [「沖縄狂想曲」]
脳梗塞の話をもう少ししよう=脳が死に生きるのが苦しい。
この話を読めば「私も同じー!」とか言わなくなるはず。昨日のランチ。一昨日の夕飯。意外に、思い出せないもの。だが、親しい友達の名前。思い出せない人は少ない。僕の場合。それがある。脳梗塞のせいだ。
本人と話していても「この人の名前なんだっけー」となる。また「朝食。食べたかな?」と思うことも。これは老人の痴呆症で、よくあるケース。すでに朝食を食べたのに、妻に「なぜ、飯を作ってくれないんだ!」と怒ったり。
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僕の場合。つい最近も風呂に入ったのを忘れて、1日に2回も入った。いつも使っているトイレの電灯スイッチ。場所が分からずに、探したことも。ここまで来ると、痴呆症老人と同じ。生活にも支障をきたす。
毎日、使っているパソコンも、病気発症後は使えなくなった。もう、文明社会にやって来た原始人のような状態。記憶が消えるのは本当に恐ろしい。携帯の使い方も???。毎日が苦悩の連続。字も読めない。書けない。
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そんな思いの一部を綴ると、健康な人から「私もー!」とかコメントが来る。本当に心が折れる。今回は本当に酷い話を書いたが、そこまでの状況とは誰も想像しない。だから「あるある!」と思い「私もー」となるのも分かる。脳が死ぬというのは、本当に恐ろしい。
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