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地方が発展できない背景ー映画作りで感じた田舎の閉鎖性ー11月12日 [「沖縄狂想曲」]

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*地方で映画を撮ることが多かった。

地元の人たちには本当にお世話になった。が、不可思議なこともあった。僕は都会にも田舎にも住んだことがあるが、同じ地域に何十年も住んだことはない。親の仕事のせいで各地を転々とした。つまり、長年に渡る「地元の付き合い」「しがらみ」というのを経験していない。

地方での映画作りで、地元の人と触れ合って感じたこと。地元の絆を大切にすることだ。それは大切だ。が、1人が勝手なことをした。Aさんとしよう。そのためにBさんが迷惑した。常識的に考えれば、みんなでAさんに反省を求める。

それが、いくつかの町では、おかしな展開が会った。迷惑がかかったBさんが、問題を起こしたAさんを批判すると、街の人はAさんではなく、Bさんを攻めたのだ。「お前が騒がなければ、トラブルにはならない」というのだ。そうやって争いが起きないようにしてしまう。

*悪いのはAさん。しかし、

皆でAさんを責めると、争いになる。親子、孫にまで続く争いになる可能性もある。だから、被害を被った仲間のBさんを黙らせて、問題が無かったことにするのだ。Bさんさえ我慢すれば、問題は起きないという考え方。

僕が経験したケースも、それに近い。映画製作でトラブルが起きた。それを代表に報告。彼は「何とかするから、他に人には言わないでほしい」と言う。それを信じて、黙っていた。だが、代表は問題解決をせずにダンマリを決め込む。無かったことにしたのだ。

トラブルを起こした人はそのまま。そのことで映画の制作が遅れる。だが、代表は原因は誰にあるか[?]皆に伝えない。だが、その問題ある人はまた事件を起こす。が、代表は「何とかします」と言いながら何もしない。それが田舎のトラブル処理なのだ。

*その人を責めると揉める。トラブルになる。

だから、問題を隠して無かったことにする。先の例で言うと、被害者を黙らせて、問題の人を野放しにする。しかし、それでは何も解決せず、問題を先送りするだけ。映画制作に問題をきたす。

代表は隠すばかりで、何もせず。僕には口止めするばかりだった。だが、代表の気持ちも理解できる。僕はよそ者だから、映画が終わると出て行く。が、彼らはこの先、死ぬまでその町で暮らす。排除した人とも顔を突き合わせて暮らす。

今後も関係性が続く。揉めると、親子3代。何十年も争いが続くかもしれない。たかだか映画のために、100年の争いをしたくない。だから、無かったことにする。それが村社会の知恵なのだ。

*だが、その問題ある人。映画を食い物にしようとしていた。

僕はそれを見抜いた。が、単に排除するだけでは、同情するメンバーも出て来る。地元チームの輪にヒビが入る。だから、彼が映画を悪用している決定的な証拠を見つけた。映画は無事にスタート。完成した。

しかし、そう言うことが、地方ではある。しがらみがある。新しいことが出来ない。問題を見て見ぬふりをする。町のためになるプロジェクトも進まない。それより地元の輪を大切にする。だが、それは日本という田舎も同じだろう。大切なことは何か[?] 見失っている人が多いと思える。












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