村社会ルールにしばらている日本人ー正論は田舎ルール=11月12日 [「沖縄狂想曲」]
以前、雑誌で連載記事を担当した時。「スピルバーグは反省の人」と言う記事を書いた。彼は自作で失敗した表現を毎回、反省。後の作品で成功させている。反省の人なのだ。
僕が学生映画をやっていた時。ある友人はこう言った。「終わった失敗は忘れて、次のことを考えよう」一見、前向きな頑張り屋だと思える発言だ。が、彼はプロにはなれなかった。本当に失敗を忘れて、次の映画でも、同じ失敗を繰り返したからだ。反省は大切。
なので僕はプロの監督になってからも、毎回反省を続けている。ある映画の完成後。いつものように地元の人と、反省をしていたら、そのオジサンに言われた。「いつまで愚痴を言ってるんだ。前向きになれよ」驚いた。反省を愚痴と解釈したのだ。
日本人には「終わったことは忘れよう。未来のことを考えよう」と言う考えを信じている人が意外に多い。だが、その裏には日本の村社会ルールが遭った。村で問題を起こし、誰かに迷惑をかける。その被害者が怒り、文句を言う。と、村の人たちが総出で押さえ込むと言う。
「お前さえ、我慢すれば揉めない」問題を起こした当人は責めない。被害に遭った人を押さえ込む。泣き寝入りさせる。調べると同じ考え方をする地区は多い。原因を探り、責任を追求するのではなく、被害に遭った人を黙らせることで、トラブルを収集する。
思い出すのは「終わったことは忘れよう」被害に遭っても、文句を言わず、黙っている。そのことで揉め事を止める。あの言葉は本来、そう言う意味だったのではないか[?] 都会ではあまり聞かないが、地方で仕事をすると、その種の発想に出会うことがある。
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