若い頃から、僕の人生は波瀾万丈端 9月17日 [「沖縄狂想曲」]
若い頃から、僕の人生は波瀾万丈[?]
18歳で「映画監督になるぞー」と横浜の映画学校へ。あまりにも退屈で中退、自主映画を始める。その後、19歳で助監督を経験。23歳にもなって留学。憧れのUSC映画科に合格。G・ルーカスの後輩となる。でも、授業に満足できなくて帰国。5年間バイト。
その間にシナリオを書き続け、脚本家に。そしてvシネマの監督。憧れの大林宣彦監督に出会い「理由」のメイキングを担当。その後、巨匠からあれこれ学び、応援も頂く。そして帰国から13年。映画監督に。今年までに8本の映画を監督。海外の映画祭でも上映された。
とは言え、結婚もできず。貯金も溜まらず。借金山積み。とうとう体が壊れ、再起不能になりかけた。
ラッキーなのか[?]どうか分からない人生。だが、退屈はしなかった。日本で大学を出て就職。定年までサラリーマンーはできなかった。あと、人生20年ほど。希望を伝える映画、撮り続けたい。
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