1人目のインタビューを編集しようとして気づいた! [「沖縄狂想曲」]
1人目のインタビューを編集しようとして気づいた!
データを探すが見つからない。取材ツアー①初夏でインタビューしたはずなのだが? そうだ! こんなことがないように、今回は取材リストを作ろうと思っていたのだ。なのに、やってなかった。
本来、アシスタントなりがやる仕事なのだが、そんな存在はいない。そもそもスケジュール作り、取材交渉もPの仕事だが、僕がやった。1人で何役もやることで製作費を有効に使えるからだ。その時に作ったスケジュール表を探す。
ただ、全ての取材が記されているわけではない。現地に行ってから交渉。日時を決めることもある。急な予定は記載されてないこともある。だが、逆に1ヶ月も前から交渉し、先方の都合を聞くと、10日余りの取材期間で全員のアポを取ることは不可能。
なので、取材の1?2週間前に連絡。あるいは現地入りしてから交渉。その期間に取材できる人に取材する。なのでスケジュール表に全ての予定は書かれていない。映画撮影と同じで、日々スケ(その日1日のスケジュール)というのを作り(僕が!)スタッフに配る。その時にプリントアウトしたものを探しだし、完全版を作る。そこからスタートせねばならない。
昨年の初夏、夏、冬の3回の取材ツアー。探し出したスケジュール表、さらに僕自身のiPadに記録した予定等とも比較して、完全版を作成。まあ、しかし、改めて見てみると、これだけの予定をよくこなしたと思える。あるいは下手したら現地に着いたらはいいが、何日も取材アポが取れず、スタッフは地元観光?ということになる可能性もあった。
だが、ほぼ毎日、取材。インタビューのない日は風景撮り等。それが10日間。[×]3回のツアー。まず、僕が現地に先乗り、準備と関係者にご挨拶。数日後にスタッフが来て取材開始。10日間の取材が終了したらスタッフを先に返し、僕はその後、数日かけてお礼参り。特に真夏の取材は大変だった。エアコンがほとんど効かないレンタカー。冷房が効きすぎて寝られないホテル。皆、ヘトヘトになった。
アポが取れるか?どうか?はもう胃に穴が開きそうなストレス。以前の作品ではPがいたので、その辺はやってくれた。が、今回は予算の都合で僕が兼Pなので、アポ取り交渉した上で、インタビュー。神経が切れそうになった。
こりゃ、疲労困憊、免疫力低下、50年ぶりに持病が再発するのも分かるなあ。と感じる。しかし、今回のプロジェクトは何としても、やらねばならないもの。例え遺作になってもやるつもりだった。
ま、遺作になる前に入院生活になりそうだったが、ようやく体調も回復して来た。逆襲開始だ!ともあれ総合スケジュール表を再現した。これを見れば、どこに何が録画されているか?すぐに見つけられる。1人目のインタビュー編集を始めよう。
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