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映画は完成したのに、なぜ沖縄戦の勉強を続けているのか? [沖縄戦]

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映画は完成したのに、なぜ沖縄戦の勉強を続けているのか?

「ドキュメンタリー沖縄戦」は3年がかりで取材した作品。それをきっかけに、さらに沖縄戦の勉強を続けている。というのも、まだまだ分からないことがあり、もっと知りたいという思いがあるからだ。というのも歴史を学びたいということより、沖縄戦を見つめることで現代が見えてくるからだ。現在のコロナ対策も当時の県民総動員と似た国民に負担と犠牲をかけるばかりのものであり、76年経っても日本政府がやることは同じということが分かる。

それと沖縄戦を把握するには、沖縄戦を知るだけではいけないことが分かって来る。沖縄戦は太平洋戦争の一部。その太平洋戦を知らないと沖縄戦の意味が見えて来ないのだ。さらに太平洋戦争を知るには日中戦争を知る必要が出てくる。日中戦争なくして太平洋戦争は起こらなかった。その日中戦争は日露戦争と関係する。そして、それらの戦争を把握するには、他の国の戦争と比較する必要がある。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線。そして第1次世界大戦。本当に膨大な歴史を知らないと、本当の意味での沖縄戦は見えてない。

「ドキュメンタリー沖縄戦」は基本、戦争体験者の証言。つまり、沖縄県人の視点で描いている。そして一部でアメリカ軍の惨状も紹介。そこはアメリカ人視点とも言える。そして、専門家の証言。彼らは戦後生まれではあるが、体験者以上に沖縄戦の知識はあり、当事者が持たない客観性を持って意見を述べることができる。ミステリー小説でもそうだが、容疑者がシロかクロか?判断するには、その人を知るいろんな関係者の証言を聞く必要がある。彼をよく知る人。嫌っていた人。職場の同僚。家族、友人。学生時代の同級生。近所の人。いろんな視点で容疑者を見ることで、分かってくる。沖縄戦も同様なのだ。

また、日本軍が悪者にされがちだが、沖縄を捨て石として利用したのは軍部であり、上層部しかその目的は知らないだろう。戦場の兵隊にそこまでのことは伝えられず、彼らはただただ命令され戦っただけだったに違いない。しかし、上層部は最初から沖縄を守るつもりはなく、住民と兵の全てが犠牲になったとしても、米軍を少しでも長く沖縄に足止めをして、その間に本土決戦の準備をする。それが狙いだった。

その辺は教科書で詳しく紹介されることはなく、「多くの犠牲が出た」「唯一の地上戦」というだけ。その記述を見ればアメリカ軍に住民が殺されたという認識になる。でも、実は軍部の計画で住民の安全は確保されず、戦場にまで動員された者も多く、米兵は殺すつもりのない住民が数多く犠牲になっている。当時の人口の4分の1が死亡したというのはそのためだ。

この事実、今の日本と似ている。コロナ感染真っ只中でもオリンピックを強行しようという政府。東京都。それは国民に犠牲が出てもいい!という思いを感じる。沖縄県民がどれだけ犠牲になろうと、本土決戦の準備をする。国民に感染がさらに広がろうとオリンピックを強行する(小学生を強制的に競技観覧させようともしている)全く同じ発想。政府は今も昔も変わっていない。そんなことも沖縄戦から見えてくる。

現在は、歴史を改竄しようとする人たちの視点で書かれた本を読んでいる。集団自決は軍からの指示はなかったという時に、よく引き合いに出される「神話の背景」(曽野綾子)だ。著者が現在、何をしている人か?調べるだけで、この本を書いた背景が分かるが、なぜ、執拗に歴史を書き直したいのか?そちら側の視点で知ることで、また見えてくるものがある。その後は「検証ーある神話の背景」(伊藤秀美)を読む。タイトル通り、先の本がいかに間違っているか?を指摘するものだ。沖縄戦を知るたびはまだまだ続く。


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