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LA生活3箇所目。ハリウッドに近い小さなアパート。 [思い出物語]

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USCの英語コース。あまりに授業料が高いので安いプライベートスクールに転向。あのアパートもようやく契約期間が切れて、こちらに移る。(写真、真ん中の白い建物)ここはあるところで知り合った日系2世のおじさんがマネージャーをやってるところ。英語力のない僕も手続きができた。おまけに住人は全員日本人。おまけに1人部屋。久々の1人生活。

アメリカでは家賃を安く済ますために、ルームメイトを見つけて部屋をシェアするのが主流。日本の大学生でそれをする人はほとんどいない。アメリカ流が好きな僕も、そこだけは馴染めず、久々の1人生活は嬉しかった。そもそもがわがままで寝たい時に寝て、やりたいことがあれば朝まで起きている。同居人も迷惑だ。

このアパート。バージル・アパートメントは、6畳くらいのスペースにクローゼット。バストイレ。そしてキッチン。日本の1Kに近いが、家具は全て揃っている。コンロも冷蔵庫もある。そこは日本と違って便利。ヒーターもある。ないのはテレビだけだ。ただ、写真でも分かるが、右横に大きなハイウェイが走る。ハリウッド・フリーウェイ。夜中でも車が多く、うるさい。煤塵が飛んでくるのが小さな悩みだった。

この時代。僕はまだ車がない。先の2つのアパートはスーパーが遠かった。学生は皆、車でスーパーに行き、大量の食糧を買ってくる。が、僕はそれができず、大学の帰りに少しずつ買う日本式で生活。が、このアパートから酒屋、いや、リカーショツプまで3分。ミニスーパーまで4分。歩いて行ける。毎日の買い物でも平気。

そのスーパーも日系人が経営。日本の食品も多い。インスタントラーメンから、おでんの具。日本のドレッシング。醤油。日本酒。なんでも来い。リトル東京に行かなくても揃う。とはいえ、僕は日本にいた時からサンドウィッチにハンバーガー。実は日本食がなくてもあまり困らない。が、LA生活をしていかに日本食が健康的か?も痛感する。

このエリアも決して安全ではないが、なぜか、日本のものが多い。車の修理工場も経営が日本人。ハンバーガスタンドも日系人がやってる。一時は近所に日本人向けのビデオレンタルまであった。目の前の通りを直進。グリフィルパーク手前には寿司屋もある。大学までは車で20分くらい。だが、この時期はプライベートの英語学校だ。ウイルシャーBL沿のダウンタウン近く。バスで通った。

結局、1986年5月から1年以上住んだはずだ。その翌年。1987年1月に奇跡が起こる。憧れのUSC映画科に合格。あのジョージルーカスやジョンミリアスの後輩となる。同期での合格は3人だけ。他にも映画科志望の日本人が身の回りにいたが、合格は僕だけだった。大学側。何か勘違いをしてはいないか? そう思ったが、入学することにする。

その時期には安物の日本車を買い、大学まで車で通学。まさにアメリカンな生活をすることになる。英語力はイマイチだったが、USCは私立なので、トイフルの成績がよくなくても英語コースを取ることで本科を学ぶことができた。こうして長年夢見た映画科の学生になったのだが、また、すぐに大きな壁が立ち塞がる。



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