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人はなぜ、「仲良くしろ」というのか? それは本当に大切なことなのか? [ムラ社会ルール]

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人はなぜ、「仲良くしろ」というのか? でも、映画の世界では通用しない理由。

子供の頃。大人たちはこう言った。「誰とでも仲良くするんですよ」喧嘩したり、揉めたりするのはいけないことだと教えられた。誰かと揉めると親でも教師でも、あるいは友人でも「そんなこと言わずに仲よくしなさい」と諭した。その教えは日本社会に浸透しているようだ。

が、大人になり、映画の仕事を始めると、信じられないバカと出会うことがある。そんな連中とも仲良くせねばならないのか? 会社なら必要かもしれない。同じ部署。同じ部屋。同じプロジェクトなら、嫌でも、我慢して、揉めないように付き合って行かねばならないだろう。少し前に放送していたJTのCMのように、付き合ってみるといい奴だったりすることもあるだろう。

だが、映画製作の場合。困った奴がいると、時間が失われる。費用が無駄になる。作品クオリティが下がる。と大変なことになる。会社とは違い、もともと同じ部署ということはない。スタッフは全てゼロから集める。できる奴。問題を起こさない奴。方針を理解できる奴。つまり、戦力となる者を選ぶ。そのためか、映画の世界では***組と呼ばれるチームが多い。

黒澤組ならば、黒澤明監督の元に、同じカメラマン。同じ脚本家。同じ照明。(もちろん毎回ではない)俳優もほぼ同じ。実力あり、気が合い。監督の意図を理解する仲間が集まる。これはとても大事で、費用、時間が節約されるし、作品クオリティも上がる。そんな風に映画の世界では「誰とでも仲良くする」というより「気の合う出来る人と仕事をする」ということが大事。

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では、なぜ、大人たちは「誰とでも仲良くしないさい」と教えたのか? 昔は終身雇用。入社した会社で定年まで働くから、その種の教えが役に立つということなのか? あれこれ考えた。一つには日本という国。各地のムラ社会。その中で生きて行くには、平穏に過ごすには「誰とでも仲良くすること」が大事だからではないか? 

以前に書いたが、田舎では諍いが起こっても見て見ぬふりをすることがある。加害者とも被害者ともこの先も付き合って行かねばならないからだ。それゆえ、被害者が加害者を糾弾しようとすると、皆で被害者を叩くと聞く。「お前さえ黙っていれば揉め事にならない。我慢していれば何もなかったことになる」ということらしい。すなわちこれが「誰ともでも仲良くする」ということなのかもしれない。

誰ともでも仲良くできるように、同じ服装、同じ趣味、同じ素行。目立ったことはしない。人と同じことをする。新しいことをすると調和が乱れる。そんな時はみんなで叩く。昔からの伝統と習慣に沿って生活する。狭い世界で波風起こさずに生きるための知恵であり、風習。それが「誰とでも仲良くしろ」という言葉で象徴されているのでは?と考えたりする。


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