あなたはどういう時に「文句を言うな!」と言いますか?=これは日本人を支配するための言葉? [MyOpinion]
あなたはどういう時に「文句を言うな!」と言いますか?=これは日本人を支配するための言葉?
一世代上になるが業界の先輩がいる。若い頃からお世話になっていた。とてもいい人なのだが、彼の困った口癖がある。
「文句を言うな!」
すぐに怒鳴る。他にも
「人のせいにするな!」「努力が足りない!」
でも、これは先輩に限ったことではなく、子供の頃から親や教師、大人たちに散々言われて来たことである。「年上の人から注意されている状態」だ。が、よくよく考えると、おかしなことに気づいた。
これをブラック企業に置き換えよう。低賃金の長時間労働。不満を訴えると上司に「文句を言うな!」と叱られる。業者からの納品が遅れたために作業が遅くなる。事情を説明すると「人のせいにするな!」とまた叱られる。結局、作業は深夜までに終わらなかった。上司はこう言う「努力が足りない!」
全て対外的な理由で問題が発生。なのに先の3つの言葉は全て個人のせいにして叱るものだ。つまり「自己責任」を指摘している。問題が起きても、第三者のためのトラブルでも「お前の努力が足りない」と個人が問題であることにされてしまう。
「文句を言うな」とはどういうことか? 考える。「説明しても、弁明しても、理由を挙げても」それを「文句」と解釈されてしまう。文句=言ってはいけないこと。それっておかしいよね? 説明や弁明がなぜ=文句になるのか? 「人のせいにするな」は「いつもお前が悪い」という意味。「努力が足りない」も「お前がもっと頑張れ。無理しろ」ということ。全て個人への強要だ。
翻って言うなら、その言葉があれば、個人を管理する者。組織が批判、攻撃されないで済む。とても都合のいい言葉だ。批判をする。反論をする。説明を求める。それを「文句を言うな!」と一喝する。子供の頃からそう言われているので黙ってしまう。「人のせいにするな」も「人のせいにして、自分は悪くないというのは恥ずかしいこと」と言う子供時代からの刷り込みがある。身勝手で無責任だと思えてしまう。
「努力が足りない」
も同じ。努力不足を棚に上げて何を言う!と言うこと。全部、上の人。管理者が、下の者を封じ込める言葉だ。それは子供の頃から言われ続け、状況がそぐわなくても、そう言われると、反論しづらい気持ちになる。「僕が悪いのか?」「努力が足りなのではないか?」そんな風に罪の意識を芽生えさせる言葉なのだ。
管理者にとってはとても便利。それらの言葉を使えば人々を抑え込める。似たような言葉はもう一つある。「自分だけ良ければいいの?」これでは酷い状態に押し込まれてもはい出すことができない。日本人はその種の言葉で長年、管理、支配されて来たのではないか?学校で、会社で。だが、今になり、それに気づく。
文句ではない。問題点を上げているのだ。人のせいにするのではなく、責任の所在を確認している。努力が足りないと言うのなら、正当な評価をしろ。どれも、上の人、管理者に問題があることを指摘する意味となる。そういうことなのだ。管理者の責任を追及する言葉を封じる表現なのである。国や会社はそうやって個人に罪の意識を植え付け、支配し、管理して来た。いかにも日本的!と思ったりしている。
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