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この30年を振り返ってみる。 [2019]

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この30年を振り返ってみる。

1991年に帰国してからはもうバタバタで、月日を振り返る余裕が本当になかった。こうして過労でダウン。次なる行動を始めない内におさらいしてみたい。帰国してからはバイトをしながら、シナリオを書いた。それが認められ脚本家デビューするのが1995年だ。またもや5年周期。この年の激動だった。自民党大敗、民主党誕生、阪神大震災、地下鉄サリン事件、

その後、1997年に深夜ドラマで監督デビュー。その後もメイキングや低予算Vシネマ等を担当。しかし、映画にはなかなか繋がらず、ブラックを超えたブラック製作会社で超低賃金どころか、何度かギャラを踏み倒されながら仕事を続ける。このままでは蟹工船!?奮起して、自分で制作費を集めて映画監督デビューすることを決意。

それが2000年、5年かけて2005年に映画監督デビュー。ここでもまた5年周期。1991年に帰国。1995年に脚本家デビュー。2000年からは映画監督デビューのために動き出す。2005年にデビュー。その後を思い出そう。

そこからまた5年かかって2010年に第2作「青い青い空」を監督。これも紆余曲折があり大変だった。翌2011年が東日本大震災。福島第1原発が爆発。そのことで原発問題に関心を持ち、2013年に「朝日のあたる家」を監督。翌2014年が「向日葵の丘」2017年が「明日にかける橋」その前後に「ドキュメンタリー沖縄戦」を担当。今年の春。3年がかりで完成。

そして今、2019年。過労でダウンして自宅入院生活だ。これだけ詳しく振り返ったのは初めてか? 映画は1本作るのに2−3年はかかる。初期の作品は4−5年。2005年デビューなので、15年で映画を6本監督したことになる。つまり、1995年脚本家デビュー。2005年映画監督デビュー。この辺は5年周期というより10年、15年周期か?

また、あまりに忙しく当時、日本はどうであったか? 調べないと思い出せない。1本の映画がスタートすると、世の中から乖離してしまう。ただ、脚本家デビュー時は阪神大震災。そして東日本大震災があったことで「朝日のあたる家」を作ったので、時代の影響を受けているのは間違いない。それら大惨事は単に参事というだけでなく、多くの人に影響を与え、時代を変えてしまう。原発事故も以前以後で日本は全く変わってしまった。

そして今年で2010年代が終わる。これはまた新しい時代が始める予感がする。何より安倍政権のために日本がガタガタになってしまったということ。しかし、アメリカではトランプが登場。日本では山本太郎が台頭してきた。これらは時代を変える大きな動きだ。北朝鮮と韓国の問題も近い将来に解決するだろう。

タブーだった巨大組織への批判を始まった。創価学会、吉本興業、ジャニーズ事務所、NHK、自民党、それらは内部からも批判が始まり、崩壊が始まっている。江戸幕府やソ連だって崩壊したのだから、どんな組織でもいつかは腐り、終わってしまう。その時期が来たのだと思える。2020年代は激動の、そして全く新しい時代となりそうな予感がする。


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