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凶悪犯罪者の背景は知りたがるのに、身近にいる問題ある人の話は避ける人たち。=その背景にあるのはあのルールか? [MyOpinion]

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凶悪犯罪者の背景は知りたがるのに、身近にいる問題ある人の話は避ける人たち。=その背景にあるのはあのルールか?

「なぜ、彼はあんな迷惑なことをするのか? なぜ、あんな発言をするのか?」

その種の人と出会うと理由と背景を考える。脚本家のサガだろう。その推理を検証するために、その人の行動や発言。僕の推理を誰かに伝え意見を聞く。と、こんなことをいう友人がいる。

「太田はよっぽど、その人が嫌いなんだな!」

好きとか嫌いではない。その非常識な行動の理由と背景を知りたいのだ。が、僕がその人を嫌いなので、悪口を言っていると解釈したようだ。(ため息)悪口というのは、その人がうざい、迷惑、酷いと言うことを第三者に告げ、同時に迷惑をかけられた自身に共感、同情を求めることだ。

が、そんなことを求めてはいない。その人が本当に非常識な行為をしたのか? 相手を傷つける発言をしたのか? そのことを友人の尺度で測ってもらいたいのだ。僕が「酷い」と思っても、友人は「別にどってことない!」と問題視しないかもしれない。また、その人はよくいるタイプなのか? 希少価値?なのか?も、僕1人では判断できない。

映画界では多くても、会社員にはいない。あるいはその逆。もし、似た人物を友人が知っていたら、その人の特徴や行動、発言を聞き、その人物と比較することができる。ある意味でリサーチ、調査なのだ。なのに

「そんなに嫌いなんだな」

で、気づいたのだが、日本人は特定の人物を批判すると=「嫌い」と解釈するようだ。理屈と感情を混同してしまう。あるいは先日の記事に書いたが「愚痴を言っている」と理解してしまう。

「嫌い」は個人の感情。嫌な思いをしたことを第三者に伝える行為。「愚痴」は言っても仕方のないことをグダグダ言うこと。いずれも近いものがある。一般的にはよく「愚痴を言うな」「人の悪口を言うな」と言う。良くない行為と認識される。つまり、

「太田は人の悪口を言う。愚痴を零している。ダメだな〜」

と言う解釈なのだ。だから親切な先輩は「ブログに愚痴を書くな」と連絡してくる。でも、違う。悪口ではなく分析であり調査なのだ。

「あいつは貸した金を返さないし、女癖悪いし、嫌な奴だよ」

と言うのは悪口だ。でも、なぜ金を返さないか? その理由は何か? 貧乏なのか? 責任感がないのか? 返したくても返せない理由があるのか? それを検証することは悪口ではない。

凶悪な犯罪者。例えば麻原彰晃、宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗、ネオ麦茶、池袋の通り魔、相模原の患者殺傷事件の犯人。その動機や犯人の背景には多くの人が関心を持つ、テレビや新聞はそれを調べ報道する。僕の発想はそれと同じ。なのに、個人レベルで問題ある人に興味を持ち、検証すると「そんなに嫌いなのか?」「愚痴を言うな」と言われることがある。なぜか? 

すでに長い文章になっているので、綿密な検証は別の機会にして答えだけ書く。これも日本人が抱える「ムラ社会ルール」なのではないか? 問題を検証していることを「悪口」「愚痴」と解釈する。「村ルール」では問題が起こると知らない振りをし、関わらないようにする。人を批判するのを聞くと、そのモードが作動。無意識に関わらないようにしてしまうのではないか?

「彼は悪口を言っている。同調したら相手から俺も嫌われ巻き込まれる。関わらないないようにしよう!」

それで無意識に「嫌い」と言う感情論で受け止める。「愚痴」と言う情けない行為だと解釈する。「はいはい!」と答えて終わりにする。実際、問題ある人の話をして

「それで彼の経歴は?」

と突っ込んだ質問を返してくる刑事のような人はいない。皆、関わりたくない。聞きたくない。と言う態度を取る。トラブルは見て見ぬ振りをするのがルールだ。やはり日本人はその種のものに無意識に縛られていることを感じる。が、それが結論ではない。

その習慣化したルールが、政治家がいくらスキャンダルを起こしても、不正をしても、他人事であり追求もしない。それをマスコミが報道しても関心を持たない。同じ構図ではないだろうか? 自身が被害に遭わない限り動かない。そんな日本人の背景にあるのは何か? 別の機会に解明する。



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