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鋭い感受性は武器。でも、それは重い十字架=ツイッターで見つけた悲しい話。 [MyOpinion]

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鋭い感受性は武器。でも、それは重い十字架=ツイッターで見つけた悲しい話。

Twitterを見ていると、なかなか鋭い意見を書く人がいた。ハンドルネームとアイコン。言葉使いから若い女性だと思える。内容は主に安倍政権批判。若いのに状況をよく理解し、鋭い追求をしている。興味を持ち、フォローした。その後、彼女のフォロー数は急増。6000人ほどになる。

その人は立憲民主党を応援しだした。その後、枝野の「迷惑だ」発言があったりして立憲の支持率が下がる。僕の周りでも「枝野ダメだね〜」との声が聞かれるようになる。政権を取る!という気がないようで「昔の社会党のポジションになりたい」のではないか?と言われだした。しかし、その女性は枝野を応援。

「思いを辛く抜くべきです!」「立憲1党で政権を取ってください」

とかツイートする。野党共闘無くして自民は倒せないと言われているのに、枝野自身がいう「立憲一頭で政権奪取」を支持していた。この辺から何だかその女性は冷静さを失ったか? 何か取り憑かれたような「え?」というツイートが増える。あるときこんな意見。

「なぜ、映画監督たちは原発問題や政治問題に切り込む作品を作らないのでしょうか? そういう映画こそ今、必要とされています」

ある人がTwitter上で返信。

「主戦場はドキュメンタリーですが、慰安婦問題に終わらず日本を戦争に引きずりこもうという団体まで鋭く描かれている作品。監督たちは頑張っていますよ」

先の訴えに対して答えた形だ。ところがその女性はこんな返答をツイートする。

「世の中が通常に戻ったら見ます」

意味不明。政治問題に切り込む映画がない!作るべきだ!というので「ありますよ」と答えれば「では、機会あれば見ます」とか「頑張っている監督もいるのですね」という答えとなるはず。それがなぜ「世の中が通常に戻ったら見る」になるのか? そもそも、なぜ「通常の世の中」なのか? 確かに今は異常な時代。だから、彼女はその種の映画が必要と訴えたのだ。 

それを通常の世の中になって見ては意味がない。本人は見たくないとしても「なぜ、作らない?」と問い「作った人がいます」と言われれば「知らなかった」「それはいいことだ」という答えが妥当。それが「世の中が通常になったら見ます」ーコミニュケーションが成り立ってない。

枝野支持も分かるが、まともに考えれば立憲1党で政権は取れない。枝野を応援するならそれを訴えるべき。共闘して勝てば枝野は総理になれる。それを「初心貫徹。1党で頑張れ!」と応援。映画監督たちを批判するが、実際にその種の映画を作っていると人がいると指摘されても、トンチンカンな答え。ズレている。他のツイートも当初の鋭さを失い、???が続いた。

この辺で僕はフォローをやめた。その後、誰かのリツートでその人のコメントが流れてきたが、他の人と争うものばかり。小沢一郎批判、山本太郎批判。頑なに枝野を擁護。でも、コメントは支離滅裂。以前のような鋭さがない。

その内に「Twitterやめます」と宣言。その後、どうしたか?と探したがアカウントが見つからない。枝野を応援するなら夏の参議院選まで頑張るべき。それを選挙前に応援を止めるのは、その程度の思いだったのか? そして何より本当に彼を支援するなら共闘を勧めるべきだ。映画の件といい、どれも主張と行動が合致していない。

精神耗弱状態に陥っているのではないか?と思えた。もともと繊細な人なので、鋭く世の中を感じ取り、政権批判をした。「なるほど」という視点に人々は感心。が、繊細なのでいろんなことに過敏。傷つきやすい。安倍政権は相変わらず暴走。支持する枝野の党はどんどん支持率を下げて行く。一方でれいわ新選組が誕生。人気急上昇。支持率は立憲を超える。その現実に失望し、精神的に参ってしまった。

精神疾病かもしれない。もともと何かを患っていたのではないか?とも思える。鋭い人、感受性の豊かな人は感じる力が強い。でも、同時にそれは苦しみも倍増するということ。特に今のような時代は生きづらい。判断力を失い、暴走し、結果、自滅する。そんな人は芸能界にも多い。感じる力は武器。でも、それは重い十字架でもある。そんなことを思い出した。


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