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悲しみを伝えるのはむずかしい。福島、沖縄、当事者の苦しみはどうすれば多くの人に理解されるのか? [沖縄の現実]

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悲しみを伝えるのはむずかしい。福島、沖縄、当事者の苦しみはどうすれば多くの人に理解されるのか?

沖縄戦」最後の素材を切り出して入れる。メインのインタビューではないので最後の最後にしようとしていたもの。でも、それらが入ることでさらに多角的になる。これで本当に全ての素材を入れ込んだ訳だ。あとは細かな部分をひとつひとつ直しながら、気になる箇所を直し、エフェクト等を加えていく。

今回のドキュメンタリーは基本、インタビュー、史跡、現代の沖縄の3つを中心とした映像で構成してある。といって、それらをカテゴリーごとに切り出して、繋ぐだけでは作品にはならない。それでは、どこかのテレビ局の番組と同じだ。そこに演出と技術が必要。といって印象操作をする演出や誤解を招く技巧はよくない。

その辺がむずかしい。マイケル・ムーアは分かりやすく、面白く、社会的問題に切り込み、ときには笑わせながら見せてしまう。あの演出は見事だが、ときどき力技で来る。しかし、それがいけないとは言えない。技を使わないと本質が伝えきれないこともあるのだ。

人はなかなか他人の痛みが分からない。人の苦労や悲しみが分からない。原発事故を取材したときもそうだが、被災者の言葉をそのまま伝えても、その大変さが伝わらないことがある。「朝日のあたる家」の劇場公開したときに、一番最初に自主上映をしたい!といってくれたのは、神戸の方だった。阪神大震災で被災した経験がある人で、だから福島の痛みが本当によく分かったという。

そう。同じ体験をした人は理解してくれる。でも、福島で作られた電気で生活をしていたはずの都民の多くは、素知らぬ顔。「原発事故は死者が出てないしね?」という人もいた。悲しみを体感することのむずかしさを感じた。どうすれば原発事故に巻き込まれた苦しさを伝えられるか?そう考えて「朝日のあたる家」を作った。

「でも、悲惨な事故を描けば泣ける映画は簡単にできるよね?」

という人もいた。が、それは違う。先にも説明した通りに人は他人の悲しみを理解するのが苦手だ。そのまま描いても伝わらないことが多い。報道を見て「福島大変ね」で終わってしまう人がどれだけいただろう? そんな人たちに「私達にできることはないか?」と思ってもらうには、当事者の思いをよりリアルに伝えねばならない。

沖縄戦も同じ。ただ、今回はドラマではなく、ドキュメンタリーだ。「朝日の」は劇映画がだからできることがあった。報道ではできないことをドラマはできる。それが今回は報道に近いドキュメンタリー。どうすれば沖縄の悲劇を他人事ではなく伝えることができるか? 事実を並べるだけではダメだ。では? そこが演出家の腕の見せ所なのだ。


沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
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