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大手テレビ局の沖縄戦ドキュメンタリー。いろんな意味で勉強になる。 [編集作業]

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大手テレビ局の沖縄戦ドキュメンタリー。いろんな意味で勉強になる。

沖縄戦ドキュメンタリーを製作する上で、同種の作品はかなり見た。最近、よく例に挙げる大手テレビ局の番組。制作費も十分にかけ、取材もよくしており、真似のできないものがある。ただ、その番組から沖縄戦の「悲しみ」は伝わって来ない。

理由をいろいろ考えた。ナレーターが沖縄戦を知らずに、冷静に、ニュース原稿のように読んでしまったことで、伝わらないということ。ディレクターがお仕事で「史実」を伝えればいい!と思っている。「悲しみ」を伝えようとは考えていないこと。等を想像していた。だが、改めて、その番組を見てみて後者の想像は違うかもしれないと思えた。

ディレクターは「悲しみ」を伝えようとしている。でも、それができていないというのが事実かもしれない。あるエピソードを見直して、結構、切り込んでいる部分があった。ある兵士の手紙が紹介される。「ここでその手法を使うか!」という表現。「なかなか、やるな?」と言いたくなる。でも、全体として「悲しみ」は伝わらない。

なぜか? 考えたときに、一つには製作したテレビ局の体質。報道がメインの局ということもあり、客観報道がモットーだ。まあ、そもそも客観報道なんてありえない訳で、その局がやっているのは概要説明だ。結果、本質を伝えないことが多い。なのに日本人は「客観報道が大切」と未だに信じていることが多い。

そのことは以前にも詳しい記事にして、客観報道の問題点。人は神ではないので、俯瞰ではものを見れない。報道は偏っているから意味がある?ということを書いたので、そちらを読んでほしい。今回、言いたいのは、そんな客観報道を信仰する局なので、ドキュメンタリーでも、あえて突き放して描いてしまったのが真相だと思える。

思えば、その局のニュース番組。どんな大惨事を報じても「悲しい」と感じることはない。「へーー大変ねえ」と他人事のようにしか感じない同じ体質でドキュメンタリーを作っている。ディレクター自身がそんな体質に縛られたのか? 上司からあれこれ言われて、いろんな表現を止められたのか?

いずれにしても、それが「悲しみ」を伝えられない背景だろう。なぜ、他局で、みのもんたが朝の情報番組で人気だったか? なぜ、久米宏や古舘伊知郎が「報道番組」で支持されたか? それでも相変わらず、感情の伝わらないニュースを全国に流している局ならではの、古い体質がドキュメンタリーをも毒しているのだろう。

これは「教育」にも似ている。1853年、ペリー来航。1867年、大政奉還。と事実だけを暗記させようとする日本史の授業。そこから学べることは少ない。歴史から学ぶ大切なことは、悲しみを繰り返さないこと。それが一つではないか? なのに、太平洋戦争の章になる前に3学期は終わる。それが日本史の授業。それを踏まえて、今回の「沖縄戦ドキュメンタリー」を作る。沖縄戦とはどんなものか? それを伝えたい。

客観報道の記事=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-01-10-5



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