高校を卒業後。映画監督を目指したー34年前のことだ。 12月5日 [「沖縄狂想曲」]
高校時代。「将来は映画を作る仕事をしたい!」と、大学は行かず、映画の専門学校に入学した。が、ひどいところで、半年で登校拒否。学校で出会った仲間と自主映画を作り出した。それが全ての始まり。
それから、あれこれあって、23歳でアメリカ留学。その後、「スターウォーズ」のジョージルーカス監督が学んだ大学を目指す。USC(南カリフォルニア大学)の映画科だ。見事?合格。
学ぶべきこともあったが、やはり疑問を感じ。帰国。日本はバブルの真っ最中!映画監督を目指す。が、帰国した途端にバブルが弾けた。それから5年。脚本家になる。帰国から14年かかり、映画監督デビューした。結婚もできず。子供も作らず。映画作りに賭けた。
その後、5本の劇映画と3本のドキュメンタリー映画を監督。8作目が来年2月公開。高校を卒業。「映画作るぞー」と走り出して、34年が経つ。そして働き過ぎで心臓が低下。脳梗塞。脳と目の一部が死んだ。この1年は闘病生活。
今年で62歳になった。人生は後18年くらいか? 残る月日をどう送るべきか?考える機会。神様が無理やり与えてくれたのだと思える。
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