教育で心を捨てて、会社員になった男の子たち=その人生を見つめる。−11月25日 [「沖縄狂想曲」]
高校時代。授業に疑問を感じた。現代国語、数学、歴史、こんな授業が何か将来役に立つのか?大学まで進むと、英語を10年学ぶ。でも、ほとんどの日本人は英会話が出来ない。
無意味としか思えない教育。役に立つのは大学受験だけ。社会に出ても生きない。まさに尾崎豊の歌だ。
「♪ 心を捨てろ捨てろというが、俺は嫌なのさー」
そう、僕も嫌だったので、大学は行かなかった。その後、アメリカの大学には行ったが・・。でも、多くはそんな大学を卒業し、会社員となる。同世代は今、60代となった。
彼らは、入院した僕に見舞いメッセージをくれた。心を逆撫でするものが、いくつもあった。悪気はない。むしろ応援のつもり。でも、応援になっていない。
「両目とも半分、失明しても、片目になるよりいいのでは?」
という応援メッセージ、書き込んだ友人がいた。それが励ましになると思っている。「そうだね。片目より、いいよね!」と返事が来ると思ったのか? 無神経甚だしい。
*
60代の男性。病気中は心が弱っている。そのコメントを読み、2日間寝込んだ。腹が立つとかではない。打ちのめされて、言葉を無くした。
その種のコメント行くか来た。皆、同じ世代の男性。背景が理解できた。学生時代、あれこれ与えられたことを学ぶ。理由や意味は考えない。
「心を捨てろ」と言われて従った子供たち。だが、サラリーマンになるには、それが必要。上司に命令されれば、疑問を持たずに従う。それが会社員だ。あれこれ考えていては仕事にならない。言われたことをする。
意味があるないは関係ない。心を捨ててロボットになるーそれが日本のサラリーマン。学校教育はそのための洗脳機関。定年退職の年齢になってから、昔に戻ることは出来ない。病人に辛辣なお見舞いコメントをしてしまう。
相手が傷つけていることに気づかない。うちの父も会社員。自分の言葉が、相手を傷つけていることに気づかない。どこの家庭でも父親が妻や子供に、嫌われる背景がそれだろう。そんなことを考えてしまう。
、
コメント 0