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人と違うことをすると、止めに来る大人たち=ムラ社会ルール。日本がダメになった背景!? [再掲載] [MyOpinion]

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 [再掲載]

「将来、映画監督になる!」

高校時代。そう言ったら多くの大人たちに反対された。親、教師、親戚、先輩たちが「子供みたいなことを言うな!」「現実を見ろ!」と意見し、止めようとした。何ら迷惑がかかる訳でもないのに? 大人たちはあれこれ言って邪魔をした。

そんな背景には意外なことに「優しさ」がある。「この子は現実を知らない。世の中をなめている。将来、後悔し嫌な思いをしないように止めねば」との思い。同時に新しい何かをしようとすると拒否感、不安感を持ってしまい、今の安定や日常を守りたいという無意識が働き。それを阻止し、潰そうとする心理も生まれる。それが「村社会」ルールの背景になる。人と違うことをする。新しいことを始めると排除。「優しさ」からスタートした「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのだ。アメリカ留学中にも、同じ発言をした。

「将来は映画監督になりたい!」

反応は日本とは180度違った。アメリカ人たちは「凄い!」「いいぞ!」「がんばれ!」「応援する!」「ハリウッドの友人を紹介するよ!」誰もが前向き。忠告したり、説教する人は1人もいなかった。

なのに日本はなぜ? 考えた。日本の多くは狭い村。その中で誰かが勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。秩序が乱れ、安定が壊れる。だから始める前に止める。真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。子供たちにも悪影響がある。だから潰しておく。長い年月で出来上がった田舎特有のメカニズムではないか? だが、奇妙なのは個人としては「村の調和のため」とは思わず「本人のためだ!」と思い説教し、止めようとする。

江戸時代頃から続く村社会。その習慣。それが今も日本人の中で生きているだろう。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいことをしてはいけないという意識が育つ。

結果、彼らは前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する。それがムラ社会ルール。学ばなくても村社会で育つと、それをマスターしている。それが日本人。そのことで個人的には「間違っている、違う」と思っても多くが一致団結。みんなで突き進み、戦争を始めたり、経済大国となったりした。だが、激動の時代になるとアジアの国々に追い抜かれた。新しいことをすると潰される環境では新しい時代に乗れない。それが今、日本をダメにしている背景に思える。


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