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「半沢直樹」俳優たちが全身全霊で演じたくなるシナリオ=その理由を解説。 [映画&ドラマ感想]

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「半沢直樹」俳優たちが全身全霊で演じたくなるシナリオ=その理由を解説。

2日間で「半沢直樹」シーズン2を見てしまった。1のラスト。「え?何で」という形で終わっていたが、その謎も今回解ける。前作のヒットで作られた続編というより、前半後半という形で分けられた物語のように、いろんなことが完結する形になっていた。

強く感じたのは脚本家による俳優への愛情。ライターが撮影現場に行く事はほとんどないので、俳優との交流は少ない。そのせいもあり、俳優より役や物語に思いが行く。それは大事な事なのだが、別の意味で足りなくなるものもある。主人公のキャラを紹介するために登場する役。単なる嫌な奴。物語を進行させるためだけに登場する役。そういうのもシナリオ上は必要だ。

ただ、俳優にした時、単に状況を説明するセリフを話すだけでは寂しい。と言ってメインではないので仕方ないな.....と思う。そんなことがテレビドラマでは良くある。「テレビに出れただけもよかった」と考えるような状況もある。だが、「半沢」では悪役でも、嫌な奴でも、多くが見せ場がある。俳優が「ここの芝居は勝負したい!」というような場面が用意されている。

劇団ではよく、メンバー全員に何らかの見せ場がある芝居がある台本が用意される。その芝居があることで小さな役でも頑張ろうと思う。それがテレビドラマでは少ない。理由は先に書いた脚本家が俳優より役を優先にすること。俳優の思いを感じる機会が少ないこと等が挙げられる。局としても有名俳優でなければ「テレビに出れただけで感謝しろ」という態度もある。それが「半沢」では全員とは言わないが、かなり俳優への気遣いがある。

悪役にも見せ場がある。嫌な奴が再登場するときは「いい奴」で現れる。例えば、前者でいうと森田順平演じる銀行幹部が最後に全てを暴露する場面。あれ力ある人が全力でかかっても難しい芝居。それに挑戦するならば、かなり燃える。後者は愛之助、タブレット男、そして、ラストで長台詞を披露する香川照之。これまでラストに延々と語るのは半沢だったのに最終回は彼だ。そこにも脚本家(そして制作サイド)が悪役を見事に演じ切った香川に、最後の最後に見せ場を用意したのだと思える。

大物俳優が悪役を演じたときに、最後の最後にいい人になる事は時々あるが、「半沢」ではそうでない俳優たちにも、何らかの「やりがい」が用意されており、とても俳優への愛情を感じる作りになっている。どうしてもドラマでは主役に気を使っても、その他のキャラへの愛がないことが多くなりがち。だが、そこで愛を感じてもらば、俳優はいつも以上の力を発揮してくれる。

特に今回の「半沢」は俳優の力が大きい。CGでビル爆破を描くのでもなく、海外でのロケがある訳でもない。全て俳優の力で見せるドラマ。普通に演じられても盛り上がらない。ドラマのセリフではないが、「全身全霊」で芝居をしてもらうことで、めっちゃめちゃ面白くなる。そのためにも俳優たちが頑張りたくなる見せ場、展開をシナリオで作ること大事だったはず。それが見事に生きて、大熱演大会になり、まさにメチャめちゃ面白いドラマになっている。


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