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日本の戦争映画。何か足りない?=日本人は被害者なのか?加害者なのか? [戦争について]

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戦争映画。昔から好きになれず、映画ファンなのに戦争ものはほとんど見ていない。「ミッドウェイ」(旧作)「遠すぎた橋」も友達の付き合いで映画館に行った。が、学生時代。クラスには必ず戦争マニアがいて戦艦大和に物凄く詳しい奴。ドイツ軍の戦車を型番まで言える友人もいた。

それが「沖縄戦」を監督したことから、あれこれ勉強を始めた。まず、戦争映画を徹底的に見た。気づいたのは日本の戦争映画の多くは軍視点で描かれていること。山本五十六であるとか、牛島中将であるとか、軍人の目から見た作品が多い。そのことで戦局を説明しやすからだ。ただ、その方法論だと、戦争の流れ、ディテールは分かっても、国民の悲しみや悲惨が伝わりにくい。

もちろん、爆弾が落ちて被害に会った人たちのシーンはあるが、それは情報でしかない。映画というのは主人公の目を通して観客は体験するものであり、それ以外は情報としかならない。主人公の友達が死ねば、観客は自分の友人が死んだような悲しみを感じる。が、主人公と関係のない登場人物が死んでも、観客は悲しみよりも、一つの情報としてしか受け止めない。それが映画だ。なので、軍人視点で描かれた映画では国民がどれだけ苦しみ、辛い思いをしたか?は伝わりにくい。

それを一般人の視点で描いたのが「ひめゆりの塔」「ひろしま」そして最近では「この世界の片隅で」だ。これらは軍人でない一般人が主人公になり、彼ら彼女らの視点で戦争を見つめる。そのことで国民がどれだけ悲惨な目に遭ったか?がストレートに伝わる。

先にあげた作品。どれも素晴らしいのだが、あえていえば、日本国民の悲しみは描かれているが、「アメリカ軍に酷い目に遭った」という印象が強く出てしまう。それらの作品の多くは日本人目線で描かれ、アメリカ側からの視点を持たないからだ。とはいえドラマとしては大きな問題はない。両者の視点で描くといろいろ難しい。

それに挑戦したのが、クリント・イーストウッド監督の「父親達の星条旗」と「硫黄島からの手紙」だ。同じ硫黄島の戦いを日米双方から描くことで見えてくるものがある。しかし、多くの日本映画は日本人視点のみ。そのことで広島原爆を描いた「黒い雨」はLAタイムスにこんな批評をされた。「この映画は原爆投下をまるで自然災害で苦しむ人たちのように描いている。アメリカが落とした原爆であることを全く批判していない」ーアメリカ側にそれを言われてどうする?と思うが同感だ。

日本の戦争映画。多くはアメリカ兵が出て来ない。爆弾だけが落とされ、どこからともなく銃弾が飛んでくる。製作サイドは「アメリカを批判しているのではなく、戦争の悲劇を伝えるため」という意図はあるだろう。だが、そのことで日本人は被害者。という側面ばかりが伝わり、加害者である部分が見えなくなる。昔は「人間の条件」「戦争と人間」等で加害者としての日本人を描く作品があったが、近年は「被害者」であることが多い。さらに、死んで行った者を英雄として描く作品もよくある。その流れは「戦争」を間違ったイメージを持ちやすくする。

ただ、観客も映画を見て「日本人はこんな酷いことをしたんだ」と思うより「日本人はこんな悲しい思いをした」という作品の方が素直に泣きやすいというのもあるだろう。それどころか「日本を守るために死んで行った素晴らしい人たち」という表現になると、かなり事実を曲げているが、その方が観客としては心地いい。そんな状況が「戦争」のイメージを湾曲させ、太平洋戦争を美化する動きにも繋がっているように感じる。その路線で暗躍、日本を戦争できる国に戻そうとしている団体もある。

戦争映画のあり方。あれこれ考えている。



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