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なぜ、戦争が始まったのか?誰が始めたのか?=それを追求する映画がない? [戦争について]

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なぜ、戦争が始まったのか?誰が始めたのか?=それを追求する映画がない?

「沖縄戦」を監督して以来、今も戦争の勉強を続けている。「朝日のあたる家」のときは2年ほど原発について取材。大変な題材だったが、戦争はそれ以上に巨大。ドキュメンタリー製作期間の3年ではまだまだ把握しきれない。沖縄戦を知るだけではダメ。太平洋戦争を、日中戦争を、ヨーロッパ戦線をも知らないと見えて来ないものがある。比較して初めて気づくことも多い。

先日は「ミッドウェイ」(新作)を見た。非常にフェアに描かれており、日本バッシングの映画ではない。以前の「パールハーバー」なんて日本軍はエイリアンのようで、情け容赦なく民間人まで襲撃する様が描かれていた。劇中で零戦が逃げ惑う人たちを機銃掃射するシーンがあるが、あれは事実なのか?と思ったり。映画としては「日本軍。許さんぞ!」という思いを掻き立てて、最後の東京爆撃で「やったー」というカタルシスに誘導したいはずなので、怪しい。

話を戻す。その意味で「ミッドウェイ」は特別に日本を悪役にはしていないが、この作品はまるでスポーツドラマの様に「両チームとも良く戦った」と賛美。戦争についての言及はあまりない。対して日本は敗戦国なので戦争映画は悲劇として描く。ただ、ここ数年、あれこれ昔の日本映画見ていて感じること。太平洋戦争を描いた多くの作品。テーマは「戦争はいけない。こんなに多くの犠牲が出た」というもの。

ただ、多くの映画ではアメリカ軍人が登場せず、ひたすら日本軍と民間人の犠牲ばかりを描く。その理由の一つは米兵が画面に出て来て、日本人を撃ち殺すと「アメリカ酷い! 許さん」という感情が観客に沸き起こるからだろう。アメリカが悪いというより、戦争がいけない!と伝えたいからだ。

その点、「パールハーバー」では真珠湾で日本人に多くの米兵、そして民間人まで殺された!というのを強調。犠牲者の苦しみ、惨たらしさをしっかり描いている。「日本軍は酷い」と観客は感じただろう。ただ、あの映画。バッシングが目的ではない。日本軍をメロドラマの悪役にしただけだ。映画とはそんなことができてしまう。

対して「ミッドウェイ」で興味深いのはハリウッド映画なのに、監督はアメリカ人でもイギリス人でもない。もちろん日本人でもなく、ドイツ人だ。「インディペンデンスデイ」のローランド・エメリッヒ監督。なので、こちらも日本軍をエイリアンとして描くか?と思えたが、先に説明した通り「どちらも立派だった!」という賞賛の映画になっている。その監督がこういう。

「米軍機が零戦に撃ち落とされるときに、日本軍のパイロットが万歳!という顔をするショットは撮らなかった。それを入れれば観客が日本憎しと感じる。それがテーマではないのだ」

なるほど、昔の日本映画と同じ手法。それを描くと敵国に対する憎しみを助長するだけなのだ。だが、うがった見方もできる。日本映画では多くの犠牲者が描かれる。アメリカ兵が殺した日本人たちである。そこを描かずにただ、犠牲を描くだけで戦争の本質は見えるだろうか? 

「戦争は無意味だ」「悲劇だ」「戦争はいけない」ということは伝わるが、敵がいて、彼らが加害者であることを伏せていていいのか? 今村昌平監督の「黒い雨」アメリカの映画館で見たが、強い違和感を持った。LAタイムスの批評はこうだった。

「この映画は原爆による被害を描いているのに、それがアメリカが落としたものであり、兵器であることが伝わらない。まるで自然災害で住民が苦しんでいるかの様な映画である」

てな論調だった。アメリカに気遣ったのか?分からないが、原爆を知らない人が見れば自然災害の物語かと思うだろう。この映画でも加害者が描かれていない。加害者に対する追求。責任。背景。原因。理由を一切排除していた。

同じことは原発事故映画にも言える。僕が「朝日のあたる家」を作ったあと。何本かの作品が公開された。が、東電の責任を追求するものは少なく、原発事故で被害に遭った人たちの悲しみを描くものが多かった。(Fukushima15に至っては東電は英雄という映画?!)なぜ、日本人は加害者を描かず、被害者ばかり描こうとするのか? 

一つには「加害者」を描くと社会派ドラマに進んでしまうことがある。「被害者」を描くと、メロドラマになり涙を誘う。そのタイプの映画はヒットする。そんな映画会社の思惑もあるだろう。

そのせいか日本の戦争映画は「被害者」の悲しみを描き、涙を誘うものが多い。「ひめゆりの塔」は代表だ。もちろん、そのことで戦争の悲劇を描き「戦争はいけない」と伝えているのだが、ここで引っかかる。そもそも、その戦争を始めたのは誰だ?「黒い雨」ではないが、自然災害で犠牲になったのではない。もちろん、加害者はアメリカだが、日本に責任はないのか? そこを描かず、加害者アメリカも避けて、人々の犠牲だけ描いて「戦争はいけない」と謳っても違うように感じる。

なぜ、戦争は起きたのか? 誰が推進したのか? 得をした人たちもいるはずだ。そして、加害者はアメリカだが、その米軍兵も多くが死に傷ついている。単純に加害者とは言えない。真珠湾でも、沖縄でも多くが死んでいる。もちろん、日本人の方が多く死んでいるが、だからと言って日本人だけが「被害者」と言えない。だのに日本の戦争映画は「日本人は被害者であり、悲しい思いをした」というものが多い。

考えていくと、「では、誰が戦争を始めたのか?」に行き着く。犠牲者を悼み、「戦争はいけない」と思うことは大切だ。が、多くの戦争映画はそこで終わっている。その先にあるもの。その裏にあるもの。誰が始めたのか? なぜ、始めたのか? 彼らはどんな得をしたのか? 

それは日本だけでなく、アメリカも同様。両国の国民が数多く犠牲になったこと。その責任は誰にあるのか? それを追求してこそ、戦争を止める方法が見えてくる。「戦争はいけない」と思うだけではダメだ。それを知ることが大事と考えている。



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