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「ドキュメンタリー沖縄戦」=「戦艦大和が」という反論を見てやはり理解されていないこと痛感? [沖縄の現実]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」=「戦艦大和が」という反論を見てやはり理解されていないこと痛感?

ブログの方にこんな質問が来た。記事で「沖縄は本土防衛のための捨て石にされた」と書いたことへの反論である。

「沖縄は見捨てられたと言うが、戦艦大和も特攻隊も沖縄を護る為に出撃したのではないですか?」

この方も、以前の僕と同じように沖縄戦を聞きかじっただけだと分かる。説明しよう。まず、「沖縄は見捨てられた」との指摘だが、意味を理解していない。「見捨てられた」は事実として間違いないが、軍が何もしなかった訳ではない。32軍が沖縄には送られている。それでも「見捨てられた」というのは、軍は沖縄を守る気は全くなく、米軍を釘付けにして持久戦を行い。少しでも長く戦い米軍の体力を奪うことが目的だったのだ。

それにより時間稼ぎをして、本土防衛を進めようとした。沖縄の犠牲の上に本土を守ろうとしたのである。その意味で「見捨てられた」最初から沖縄を守る気は無かったということなのだ。実際、沖縄に上陸したアメリカ軍は約50万人。対する日本軍は10万人。この人数だけでも真剣に戦おうとしていないことが分かる。本土決戦のために軍事力を温存したかったのだ。

また、戦艦大和を出撃させたと指摘するが、大和は建造された時期でさえ、時代遅れの産物であり、日本軍自らが時代を変えた真珠湾奇襲=それまでは戦艦での戦闘だったが、戦闘機による攻撃が有効であることを示した戦い=時代は空母に移っていたのに作ってしまったのが大和だ。結局、軍は使う機会がなく、せめても花向けに沖縄に出撃という名誉を作っただけで。「この機に処分してしまおう。今後はもう使うことはないだろう」という意味での出撃。

実際、大和は沖縄に到着する以前。出撃してから僅かな時間で米軍によって撃沈。僕らが子供の頃は「大和は無敵の戦艦」みたいな間違った印象を持っていたが、反論した人も同じような記憶を今も持っているようだ。特攻隊も同様。これは「ドキュメンタリー沖縄戦」内で紹介している。特攻はほとんど意味がなく、ほとんどが撃墜されている。戦闘機も古いもの。壊れたものが使われ、パイロットも若く未熟なものばかりだった。

沖縄を見捨てたからこそ、住民を防衛隊等に接収。戦闘にまで参加させた。本気で守るきならもっと本土の正規軍を投入したはずだ。その意味でも沖縄は見捨てられたと言える。そんな悲しい現実。伝えられない事実。「ドキュメンタリー沖縄戦」では数多く紹介している。全国公開ができるよう応援をお願いしたい。



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