「ドキュメンタリー沖縄戦」 色々なものがギリギリの今の時代に受け止めるべきもの(by 映画文筆業・永田よしのり) [沖縄戦ー感想]
「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」
色々なものがギリギリの今の時代に受け止めるべきもの(by 映画文筆業・永田よしのり)
まず最初に語っておかなければいけないこと。
それは沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が米国から日本に返還となったのは1972年5月15日だということ。
つまりそれまで沖縄は米国の統治下にあったということだ。
日本の法令用語としてもこれを〃沖縄の復帰〃と呼称している。
それは1945年の米国による沖縄占領時から、実に27年後のことだ。
ものすごく平たく言えば、沖縄は1972年まで〃日本ではなかった〃ということ。
なぜ、日本は敗戦後にすぐ、沖縄を日本国の一部として主張しなかったのだろうか?
そこには、1945年3月26日から6月23日までが戦場となった、沖縄戦の真実がある。
その沖縄戦の真実を、かつて福島原発事故を題材にした「朝日のあたる家」で、監督を務めた太田隆文監督が、約3年前から何度も現地に入り、戦争体験者たちの証言、沖縄の現在、沖縄戦とは何だったのか? を我々に知らしめてくれるドキュメンタリーを撮った。
実はまだ沖縄でも本作は公開されておらず(今秋公開予定で準備されている)、マスコミ試写なども行われていないのだが、僕は映画関係者として早めに観ることを叶ったのだ。
なので、詳しい内容は書かないが、本作品をどのように感じたか、は伝えておきたくなったので、この文章を書いている。
沖縄戦は、第二次世界大戦中、米国が日本中央本土を攻撃するための最前線基地として必要としたために開戦したもの。
1945年3月から6月あたりは、すでに日本国軍は敗戦の色濃く、それでもメディアは、大本営発表の薦めるままに日本国軍有利をまだ伝えていた。つまり日本国民は真実を知らされないまま、戦争の渦中にいた時代。
現在も沖縄辺野古基地問題が続いているが、単純に考えてなぜ、東京湾に米国基地を建設しないのか? という疑問は湧かないだろうか?
その根幹にあるものこそが、沖縄戦争そのものであろう。
これは私見だが、つまり中央政府は沖縄を日本と思っていなかったのだ。
それゆえ、20万人以上の戦没者を数え、終戦後27年も経てからやっと沖縄返還を認めたのだ。
ドキュメンタリーでは、1945年当時に沖縄戦を体験した生存者から数々の証言を引き出している。
それは怒りと悲しみの声だ。
その声を我々は今まであまり聞くことはなかった。
それは沖縄が日本ではない、近くの観光地でもあるかのような認識で世間に拡散されているからだ。
日本政府は沖縄戦を無かったことにしておきたいのではないだろうか?
そこにある真実は、触れられては日本政府にとっては都合の悪いことだらけのような気がするのだ。
その姿勢は2011年の東日本大震災時に起きた、福島第一原発事故の時と同じに見えないだろうか?
我々はあまりに知らないことが多すぎる。
それは自ら知ろうとしないからでもある。
簡単に情報が入手できる時代なのになぜ?
実は情報が簡単に様々に入手できることこそが、情報操作の一端を担うことでもある。
手軽に情報を得ることには、実はあまり価値がない。
そこにあるのはいくらでも描き替えることのできる事実。
本当に知らなければいけない真実、知っておかなければいけない真実は、表層だけを彩る情報には描かれることはない。
多くの人はそこでとりあえず満足する。
「自分はそのことを知っている」と。
だが、手間をかけ、現地に赴き、様々な書簡をあたり、自ら求めることにこそ情報の真実に行き当たるのではないだろうか。
我々は考えなければならない。
なぜ、今、我々はこの時代を生きているのか。
「戦争は嫌だ」
と言うのは簡単なこと。
もちろん間違ってはいない。
我々は1945年以降に生まれた世代。
当時の戦争を実際に知る者もどんどん少なくなってきている。
今がギリギリ、本当のことを経験者たちから教えてもらえることに間に合う時代なのだ。
そして後の世代に我々が伝えていかなければならない。
真実を。
悲しみを。
怒りを。
「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」には、我々が知っておかなければならない真実が焼き付けられている。
それは抉るような引っ掻き傷を我々に残す。
だが、その引っ掻き傷を身体に残さなければ、何も語ることは出来ないのではないだろうか。
戦争を知らない世代、もしかしたら今後、戦争を知ることになる世代を生み出さないためにも、我々はこうした作品を、色々なものがギリギリの今の時代に受け止めなければならない。
(映画文筆業・永田よしのり)
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