憎しみがあなたから冷静さを奪ってしまう。=嫌いな人のことを知ろう。好きになる必要はない。そこから解決策が見つかる。 [戦争について]
憎しみがあなたから冷静さを奪ってしまう。=嫌いな人のことを知ろう。好きになる必要はない。そこから解決策が見つかる。
昨日は「嫌われ者を勉強しよう」シリーズで橋下徹の本の写真をあげて、嫌いな人を知ることも大事。さらに、こう書いた。
「橋下だ。写真見ただけでムカつく!という方は前回の記事にも書いた通り、ネガティブ・キャンペーンに乗せられやすいタイプと思えるので、客観性を失ってないか?考えてほしい」
と書かせてもらった。感情的に攻撃する前に、冷静に物事を見つめようと言うメッセージだ。にも関わらず、以下のコメントが入った。
「どの面さげて語れるのか!ちゃんちゃらオカシイ!こんなもん読まぬ、時間のムダだ」
橋下本に対する感情的な批判。おかしいのはまず、その本を推薦している訳ではない。僕自身が興味を持って読むと言っているだけ。なのに、本の写真を見ただけで「橋下だ!許せない」と怒りを感じ、記事を読まずに中傷コメントを書いたということだろう。
どのような方なのか?タイムラインを拝見した。れいわ支持、香港デモを応援、映画「ひろしま」を宣伝。心ある、思いある方だ。現在の政府の方針に疑問を感じ、伝えようとしている。なのに、先の感情的なコメント。「だって橋下だから!」と言うかもしれない。それを自分のFacebookに書くのなら問題ない。それを他人のFacebookのコメント欄に脈略なく書き込む。記事も読んでいない。記事にはこう書いてある。
「橋下だ。写真見ただけでムカつく!という方は前回の記事にも書いた通り、ネガティブ・キャンペーンに乗せられやすいタイプと思えるので、客観性を失ってないか?考えてほしい」
まさにその通りの反応を取っている。この人を批判しているわけではない。せっかく、このような書き込みをしてくれたので解説したい。人は憎しみに支配されると冷静さを失う。韓国が嫌いな人が「韓国」と聞くだけで「嫌いなんだよ!」と憤る。「国に帰れ」と罵倒する。弁護すると「お前も韓国人か!」と言いだす。そんなことでデモをする団体もいる。そんな人たちの行動は多くが批判する。
「橋下、許せねえ」はいい。でも、それを他人のコメント欄に書き込む。落書きコーナーでもそんなことは書かない。僕の「友達」は4900人台。その多くが読む可能性があるコメント欄に、自分の感情をぶつけ、橋下の悪口を書き込む。それは必要なことだろうか?場所を考えず嫌韓発言をする人たちと大差ないのでは?
太平洋戦争時、日本人を知らないアメリカ人が「リメンバーパールハーバー」と軍に志願。国内の日系人を迫害した。許せなければ何をしてもいいのか?日本では米英鬼畜と叫でいた。でも、ほとんどがアメリカ人を知らない。そんな国同士が戦争した。だから、まず知ることを伝えたいという記事を書いた。そこに
「こんなもん読まぬ、時間のムダだ」
と書き込む。心あるれいわ応援者がなぜ、そんなことをするのか? 憎しみは人から冷静さを奪い、感情的に暴走する。その行動パターンを利用したのが戦争である。アメリカ軍は日本を熟知していた。が、日本軍はアメリカの力を把握していなかった。だから日本は負けた。相手が憎いのなら、罵るだけでなく、敵を知ること。
そして、憎しみに囚われないことで、戦争を避けた解決法が見えてくる。だから、嫌いな人を知ること大事。本を読めとは言ってない。知ることが大切なんだ。
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