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「れいわ新選組に**して欲しい」「山本太郎さん**してください」はもうやめよう。あなたが出来る応援を探そう! [れいわ新選組]

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「れいわ新選組に**して欲しい」「山本太郎さん**してください」はもうやめよう。あなたが出来る応援を探そう!

Facebookのコメント欄。Twitterを見ていると、多くが「れいわ新選組」応援を綴っている。何度も書くが「太郎さん。頑張れ!」「れいわ応援!」ではダメ。応援の熱量というより、応援者のメンタリティ、考え方から変えて行かないと政権は狙えない。その話をする。例えば、あるFacebookでこんなコメントを見つけた。

「れいわ新選組を広げて行くにはこんな方法はどうでしょうか? ①太郎さんの演説を撮影したビデオの上映会をする。②東京だけでなく地方でもする。③ネットをしない人たちにもアピールできる」

長々と綴っていた。最後に「ぜひ、やってください!」とある。はあ? 誰がやるの? れいわ事務所? 太郎さん? ボランティア? そのコメントを読んだ誰か? そのFacebookをやっている人? そもそも、なぜ「やってください」なのだ? なぜ、自分でやろうとしない?  れいわや太郎さんに提案するのではなく、僕らが「何をできるか?」ではないか? 

上映会を思いつたなら、自分たちがやってみる。なのになぜ「ぜひ、やってみてください」になるのか? コメント主が悪いのではない。これまで日本人が受けて来た教育は、与えられたことだけするだけのもの。自主的に何かをやると、あれこれ注意されて来た。いつしか日本人は、

「***して欲しい」「***した方がいいです」

とか要求はするが、自分から動かない民族になってしまった。だから、与党に長らく騙されて、踏みつけられて来た。大企業と金持ちを優遇して庶民にツケを回されたのだ。それを打ち破ろうとしているのが、山本太郎だ。

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「何をしてもらうかではない。自分たちが出来ることを探せ!」

彼のメッセージはそれだ。選挙中に言っていたこと「友達に知らせてほしい」「はがきを書いてほしい」「フレンド票を増やしてくれ」つまり「れいわ」だけの戦いではない。

「あなたたちの生活を賭けた戦い。あなたたちが出来ることを探し、参加する戦いなのだ。そうしなくては勝てない!」

太郎さんはそう伝えようとしたのだ。「提案」や「リクエスト」ではない。僕らが動くこと。また「提案」と言う言葉はとても危険。

「これやればきっと広がる!私は貢献している!」

と満足しがち。考えてみよう。上映会の会場費は? プロジェクター代、宣伝費、技術者の人件費はどうするのか? 集客の方法は? 地方に行くなら、それらの運搬はどうするのか? それら問題を考えずに「上映会すれば広がる!」と言う安易なノリで言っていないか? 提案するだけだから細部に気づかない。自分でやってみれば具体的な問題に気づく。

「だって、私は忙しいし、お金もないから出来ない...」

と言うかもしれない。だったら、地方を回るとか言わずに、自分の家で上映会をする。動画はYouTubeにいっぱいある。金はかからない。上映会でなくてもスマホで友達に見せる。飲み会でみんなで見る。自分ができることをする。それこそが「れいわ」応援であり、太郎さんが求めること。

僕のFacebookにも日頃から「過去の作品の無料上映会をしてください」「戦争反対の映画を撮ってください」と言うリクエストが来る。が、その全てが実現に物凄い労力と金額がかかる。あれこれ考えて完璧なプランだと思う人。思いつきでリクエストして来た人。いろいろある。もちろん、プロのプロデュサーではないので当然だが、それらは子供が

「将来はパイロットになりたい!」「お花屋さんをやりたい[黒ハート]

と言うのと同じ。夢を語っているだけ。同じレベルでは無意味。今回は「れいわ」のため太郎のために、自分ができることを探し、考え、行動することが大切。誰かがやってくれることを期待したり、誰にやって欲しいことをコメントするのではなく、あなた自身がやれることをやる。それが「れいわ」への本当の応援ではないか?



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