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なぜ、その沖縄戦ドキュメンタリー番組からは「悲しみ」が伝わらないのか? [編集作業]

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なぜ、その沖縄戦ドキュメンタリー番組からは「悲しみ」が伝わらないのか?

先日見た某大手テレビ局が作った沖縄戦ドキュメンタリーについて考えている。一言でいうと教科書。その作品を見て沖縄戦の流れは分かるが全く感情に触れるものがない。

「多くの市民が巻き込まれ、犠牲になりました....」

というナレーションを聞き、感じるのは

「へーーそうなんだ」

ということだけ。せいぜい「兵隊だけでなく市民もねえ。酷いなあ〜」という軽い思い。しかし、番組はハイビジョンカメラで現代の沖縄も撮影。体験者の証言もあり。CGによる地形説明。空撮もある。当時の記録映像と、多岐に渡る表現があり、制作費もかなりかかっている。

なのに感じるものゼロ? いや、歴史は分かる。でも、戦争ノンフィクションで大切なのは「あの戦争を繰り返してはいけない」「こんなに酷いことが何度もあったのですよ」というを伝えることではないか? 

もちろん、歴史の学習として事実のみを挙げる=まさに日本の教育=が目的であればいいが、本来、歴史を学ぶというのは、愚かな繰り返しをしないために歴史から過ちや意味を学ぶことだ。それが暗記中心の歴史教育を日本はしている訳だが、その番組もまさに同じ。でも、具体的にはどういうことか? 何が感情に訴えないのか? 伝えている史実は悲惨極まり無いものなのに?

それを数日前から考えている。技術、製作費については、その番組の方が、僕が担当する作品よりあるかに上である。その面だけで考えると、今回の作品はその番組にさえ及ばないことになる。それではダメ。無意味。ビデオで学ぶ歴史を作るつもりはない。テーマは沖縄の悲しみを自分のことのように感じてもらうこと。

「朝日のあたる家」とテーマは同じ。それをドキュメンタリーでやるのだ。考えた。まず、某テレビ局の番組。歴史の時間軸に沿って、各地の戦闘を描いている。それは正攻法であり、問題はない。記録映像もよく探して来た!というものが紹介されている。当時を知る証言者も大手テレビ局だからこそ、探し当てたと思える。

でも、悲しくない。悲惨が伝わって来ない。何だろう? 細かいところを考えてみよう。まず、ナレーション。女性。多分、局アナだろう。上手に原稿を読んでいる。が、映画監督として思うこと。ドラマでもそうだが、その役の気持ちを理解せずに台詞をいう俳優。伝わって来ない。いくら滑舌が良くて、言葉が明快でもダメ。

悲しい現実を語っているのに全く悲しみを感じない。原因はその俳優が役を理解していないこと。その人物が直面する現実、問題、悲しみを理解せずに台詞を読んでいるからだ。メソード演技というのがある。ニューヨークのアクターズ・スタジオで教えている表現法だ。そこで学んだのが

マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ディーン、etc...

という名優たちである。その演技法のことは以前に記事でも書いたし、演劇を志す人なら皆、知っているはず。もし、知らなければかなり問題だ。ロシアにも同じ方法論があり、それはスータニラフスキーという人が提唱している。それらによると、

「演技は自分の経験の中で最も近い経験を探し、その時の感情を呼び起こし、それを役の気持ちに近づけること」

実際、そのアクターズ・スタジオの校長である人(先代はあのリーストラスバーグ)が日本に来た時にワークショップをして、それを見に行かせてもらったが、指導を受けると見る見る内に俳優たちの演技が良くなっていく。感情の表現はやはり凄い。

それでいうと先の番組のナレーションを担当したアナウンサーは沖縄戦のことも知らず、その悲しみも把握しておらず。それを伝えようという気もないように思えた。上手に原稿を読もう。その1点だけ。まあ、アナウンサーの仕事はそれなのだ。だから、冷静にニュース原稿を読むだけ。聞く方に悲しみなど伝わらない。

最近は報道番組でも特集などは俳優がナレーションをすることが多い。昨年見た「アメリカが最も恐れた男 カメジロー」でも大杉漣さんが担当していた。アナウンサーより俳優の方がより多様な表現ができるのである。悲しみや喜び。悔しさや勇気。様々な感情を表現する仕事だからだ。

NHKのニュースをいくら聞いても頭に入らないし、何も感じないのに対して「ニュースステーション」や「報道ステーション」。久米宏や古舘伊知郎というアナウンサー出身者ではあるが、バラエティ(プロレス中継も)で鍛えた表現力があるので、視聴者に多くを感じさせることができたのだ。通常のニュースだと

「議論の成り行きが注目されております...」

と客観的に冷めて読むところを、久米さんだと

「どうなっちゃうんですかね〜?」

と閉める。これだけでも印象はかなり違う。ドキュメンタリーも同じだろう。

思い出すこと。僕は撮影に入る前にあれこれ宿題を俳優に出す。例えば「明日にかける橋」は1989年が舞台。当時のテレビ映像や歌を俳優たちに体験してもらう。「向日葵の丘」の時は、会話に出てくる映画は全てDV Dで観てもらった。その映画を見ていて「雨に唄えばー良かった〜」と台詞をいうのと、見ないでいうのとは全然違う。

同じく、そのアナウンサーは沖縄戦を勉強せず、その悲劇を伝えようという気持ちもなく、お仕事としてナレーションを読んでいると思える。もし、そんな思いがあったとしても、そんな気持ちを抑えて、いつもの仕事として原稿を読んだ。それでは悲しみは伝わらない。いや、伝えようとしていないのだろう。

あと、製作スタッフにもその種の気持ちは薄かったのではないか? これはアナウンサーほど顕著に出ないが、映画を見ていても、その企画がやりたくて担当した監督と、依頼を受けて嫌々やった監督とでは画面から伝わるものが全然違う。その点も番組から史実しか伝わらない背景になっていると思う。

他にもいくつか理由はあるだろう。そこを考えて、同じようにならない対策と方法論。持たなければ!



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