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沖縄戦ドキュメンタリー報告 何があっても完成し公開せねばならない作品!沖縄を見る目が変わる [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー報告 何があっても完成し公開せねばならない作品!沖縄を見る目が変わる

現在は音の張り替え直し作業。ドキュメンタリーの場合はカメラマイクで録音することが多い。インタビューはそれなりのマイクを使うが風景撮りはカメラに付いているマイクで撮る方が早いし便利だからだ。ただ、風が吹くとゴワゴワ、バリバリいう。周りの騒音も拾ってしまう。それらを調整、差し替え、静音することで聞きやすい状態にする。

が、一般の人は普通に録音すればテレビで見るような音に録れると思いがち、逆に音の悪い映像を見たことがほとんどないはず。実はスタッフが苦労して音を直しているのだ。

その作業の一部を僕がやっている。これがなかなか大変。そのこと昨日も書いたので本日は省略するが、本当に面倒だ。そしてもちろん、僕が直した部分をさらに専門スタッフが直す。でも、僕が直しておくことで、時間が短縮できる。専門家がスタジオでやる作業は1時間いくらかを払わねばならない。その時間は短く済む方がいいからだ。

ついでに書くと、これも本来、監督がやるべき仕事ではない。が、毎回、やるべきことではない仕事をたくさんすることで、製作費がかなり助かる。その浮いた分、節約した分が僕のギャラになればいいが、そうではなく、今回で言えば取材費用を回すことができた。

ドラマは1週間撮影すれば、ほぼ1週間分の予定が消化できる。が、ドキュメンタリーは1週間取材したからと1週間分の予定が紹介できないことがある。取材相手がドタキャンしたり、雨で現地の撮影ができない。船が出なくて島に渡れない。ということが今回も何度かあった。

だから、何度も取材に行くことでチャンスも多くなり、思いもかけない人と出会えて取材できたり、繋がったりする。それは作品レベルを上げることだ。しかし、一度取材に行くと、スタッフのギャラ、交通費、宿泊費、食費とかなりな費用がかかる。それかける人数分。なのに空振りすることもドキュメンタリーではあるので、回数行くにはそれなりの費用が必要。

5回より6回。6回より7回。でも、低予算ものでは、2回で終わりということもある。それでいいものができる訳が無いのだが、予算は変わらない。なら!と、ポストプロダクションの費用を抑える。僕が数人分の仕事をする。それしかない。と予算表を見ると、「俺のギャラこれだけか....」という額。ブラック企業を遥かに超えている。ボランティアに近い。

でも、今回の「沖縄戦」は僕が思う以上に重要な仕事だと思えてきた。こんなドキュメンタリーは他にない。これからも簡単には出来ないだろう。完成させ、多くの人に見てもらう意味がある。はっきり言ってこの作品を見れば沖縄を見る目が変わるはずだ。本当に沖縄戦を知ってもらえる。だから、やらねばならない!

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いろんな縁が交差する想い出の映画館ジャック&ベティ [編集作業]

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いろんな縁が交差する想い出の映画館ジャック&ベティ

「向日葵の丘」2015年、横浜シネマ・ジャック&ベティで上映してもらった時の写真。この映画館は学生時代に通った元・横浜名画座。10代の時に行った映画館で自分の監督作が上映されること。毎回、感動する。

ちなみに、この映画館が「向日葵の丘」に登場する映画館・かもめ座のモデル。どちらも2階建。階段を上がって受付に行く。さらに映画で津川雅彦さんが演じた梶原支配人の名前はこちらの支配人さんからお名前を頂いた。

その数年後「向日葵」の主演・常盤貴子さんの「誰かの木琴」という映画をこの劇場で上映した時。舞台挨拶があり、お祝いに向日葵の花束を届けた。

その時に支配人の名前の話をしたら常盤さんは「あーー本当だ!」と笑っていた。その時の映画「誰かの木琴」は東陽一監督。実は初めて僕が見学した撮影現場が東監督の映画!37年ぶりに監督にご挨拶した。

そして、僕の監督作「朝日のあたる家」も「明日にかける橋」もここで上映して頂いた。感謝!



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沖縄戦ドキュメンタリー=タイムコードを入れる。何の意味があるの? [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー=タイムコードを入れる。何の意味があるの?

ついにタイムコードを入れた。よくテレビ局の調整室や編集室の風景(番組紹介等での)を見ていると、画面の上に数字が出ていて、めまぐるしく変わっていくのに気づくことがあると思う。あれがタイムコード。

どの場面のどの映像というより、数字で示せば間違いがない。撮影スタッフなら、あの日のあの場所の....といえば通じるが、編集、音楽、効果スタッフはロケ現場にいないので、分からない。そのためにタイムコードを入れて、共有する。

でも、これを入れてしまうと、もう、大きな変更はできない。そして小さな変更でもタイムコードに影響するので、その度に関係者に伝えなければならない。劇映画の編集では、よくこの段階でも僕は変更することが多く、関係者に迷惑をかける。編集というのは本当に最後の最後まで直してしまう。

現在、上映時間は1時間40分ほど。友人のPに話したら、

「えーーーー凄い〜。まじですか〜。太田組始まって以来じゃないですか!!」

と驚かれてしまった。僕の作品は長いので有名なのだ。1時間50分になる予定のシナリオでも、撮影すると2時間10分になってしまう。それが「明日にかける橋」。ちなみに「向日葵の丘」は2時間20分ある。それで無駄がある。カットできるか?というとないところまで切ってそれなのだ。

映画館や製作会社は2時間超えの映画を嫌う。1日の上映回数に影響するからだ。でも、だからといってストーリーに影響してまで短くはできない。そこでいつも戦い。だから、今回、2時間超えず。さらに40分台というのは関係者には驚きなのだ。

といってコンパクトに沖縄戦をまとめたのか?というと、そうではない。100分ほどに沖縄戦が詰まっている。これを見れば沖縄戦がとりあえず分かる!というレベルになっているはずだ。いよいよ、大詰めの作業だ。



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ドキュメンタリーも音楽はオリジナルを制作する? [編集作業]

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ドキュメンタリーも音楽はオリジナルを制作する?

音楽家さんはすでに作業を開始してくれている。素材を見てもらい、どの場面に音楽を入れるか?そして、どんな音楽を作ってもらうか?はすでに打ち合わせ済み。沖縄戦を描く上で必要な音楽とはどんなか?あれこれ考えて、戦争映画等のサントラ版を何枚も聴いた。

ドキュメンタリーなので、あまりドラマティックに音楽で盛り上げるのはいけない。しかし、音楽も現実を伝えるための表現手段の1つ。その辺を熟考して曲調を決めた。どんな風に仕上がるか?楽しみだ。

ドキュメンタリーとはいえ、既成の曲を無断で使うわけにはいかない。著作権というものがある。だから、曲はもちろんオリジナル。音楽家さんが演奏して録音してくれる。劇映画と同じだ。

沖縄で取材中にある方が忙しくてインタビューを受けてもらえなかったことがある。で、こう言われた。

「先日、NHKでもインタビューを受けたので、それを借りて使ってください〜」

でも、そうはいかない。NHKが取材した時点でNHKがその映像の著作権を持つ。ご本人が承諾しても、それを借りるためには許諾を取り使用料を払わなければならない。映像はいろいろ大変なのだ。

音楽も同じ。一つ一つの曲に著作権がある。勝手に使うことはできない。最近は個人で撮った動画をYouTubeに上げても、既成の曲を使うとブロックされてしまう。「せこいこと言うなよ〜」と思う人もいるだろうが、著作権は大事。無断で使うのは泥棒と同じだ。

最近はだいぶん理解が深まったが、まだまだ一般では無頓着、悪意がないのに違法行為をしてしまう人がいる。映像も、写真も、音楽も、文章も、絵も、デザインも、描いた人、作った人の権利が著作権法で守られており、無断で使うことはできない。この話はまた別の機会に詳しく書く。

とにかく音楽も制作中。編集もいよいよ追い込みだ。


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編集するとなぜ、腹が減るのか? パソコン前から動かないのに? [編集作業]

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編集するとなぜ、腹が減るのか? パソコン前から動かないのに?

お菓子とか甘いものは滅多に食べないのだけど、シナリオ執筆と編集の時は食べたくなる。お菓子どころか、めちゃめちゃお腹が空く。ずっとパソコンに向かって作業するだけなのに、なぜ腹が減る??と考えたら、物凄く頭を使う。脳は糖分しかエネルギーにならないので、甘いものが必要になる。その消費量が物凄いのでやたらお腹が減ることが分かった。

だから、編集しながらお菓子をかじる。だいたい、チョコレートかせんべい。でも、お菓子ってカロリーが高くて、気づくと体重が3キロも増えてしまった。編集終わったらジョギングでもしようか?と思っていて、久々に体重を測ったら、元に戻っていた。恐るべき編集作業でのカロリー消費。3キロ痩せるのは大変。それをパソコン前で作業するだけで消費してしまうのだ。

編集ダイエットというのを考案しようかな? 本日も作業。ついに終盤戦。


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俳優は超能力者?!=撮影のたびに驚愕する名女優たちとの思い出② [編集作業]

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俳優は超能力者?!=撮影のたびに驚愕する名女優たちとの思い出

俳優っていうと、綺麗、可愛い、カッコいいという印象が最初に来がちだけど、一緒に仕事をしていて、いつも感じるんのは別のことだ。綺麗、可愛い、かっこいいならモデルさんだって同じ。でも、俳優たちはモデルとは違う魅力があり、存在感と凄さがある。

それって何なんだろう?と考えるが、「超能力」と言うのが相応しいのではないか? そういうとテレポートやサイコキネシスを使うの?と言われそうだが、それに近いものがある。例えばオリンピック選手と同じ。マラソンや水泳は誰でもある程度できるので、タイムやスピードの凄さは体感し辛く伝わりにくいが、アイススケートや平行棒など、やはり超能力としか言えない凄さがある。

俳優のそれも分かりにくいが、同等のものを感じる。他人の人生を演じて、自分が体験していない悲しみや喜びを表現してしまうのはやはり超能力だろう。そんなことを現場で何度も見ている。「向日葵の丘」の常盤貴子さんのクライマックのスピーチは、本人の言葉としか思えない。僕自身が書いた台詞なのだけど、聞いていて「いいこと言うなあ〜」と思ってしまった。

「明日にかける橋」の田中美里さんが娘とは知らず鈴木杏ちゃんに、娘に伝えなかった思いを食堂で語る場面も、母親である彼女が悩み考えて、言葉にしているとしか思えない切迫感があった。いずれのシーンも、5分前後の長い場面を台詞だけで引っ張って行く。撮影時はもちろんワンカット・ワンシーン。

力のない俳優や新人では絶対にできない表現力なのだ。僕は特に自分でシナリオを書くので感じるが、僕自身があれこれ考えて書いた台詞。それ自体はもちろん人生を刻み込んだ言葉なのだが、それだけでは人々を感動させることはできない。

でも、常盤貴子さんや田中美里さんが演じ、台詞を言葉にすると、誰が見ても分かり、感動する。別の言い方をすると、どんな素敵な歌詞があっても、それはポエムと同じで「いいね!」で終わることが多いが、力のある歌手が歌うと物凄い感動になる。それはある種の超能力だ。「明日にかける橋」は全国のTUTAYAでレンタル中。DVDで俳優陣の素晴らしい演技を確かめてほしい。


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編集するとなぜ、腹が減るのか? パソコン前から動かないのに? [編集作業]

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編集するとなぜ、腹が減るのか? パソコン前から動かないのに?

お菓子とか甘いものは滅多に食べないのだけど、シナリオ執筆と編集の時は食べたくなる。お菓子どころか、めちゃめちゃお腹が空く。ずっとパソコンに向かって作業するだけなのに、なぜ腹が減る??と考えたら、物凄く頭を使う。脳は糖分しかエネルギーにならないので、甘いものが必要になる。その消費量が物凄いのでやたらお腹が減ることが分かった。

だから、編集しながらお菓子をかじる。だいたい、チョコレートかせんべい。でも、お菓子ってカロリーが高くて、気づくと体重が3キロも増えてしまった。編集終わったらジョギングでもしようか?と思っていて、久々に体重を測ったら、元に戻っていた。恐るべき編集作業でのカロリー消費。3キロ痩せるのは大変。それをパソコン前で作業するだけで消費してしまうのだ。

編集ダイエットというのを考案しようかな? 本日も作業。ついに終盤戦。



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編集は技術だけではない。センスと感性が勝負? [編集作業]

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編集は技術だけではない。センスと感性が勝負?

昔から編集にはこだわりがある。どんなに素晴らしい映像が撮影されていても、編集次第に名作にも駄作にもなるからだ。しかし、編集をしたことのない人には理解しづらいようだ。

「シナリオがあり、それに沿って撮影された映像。それを繋げば誰がやっても同じような編集になるのではないか?」

確かに昔の日本映画ならそれも言えた。日本式は編集を考えて、それに必要な部分だけを撮影する。なので、素材をつなげれば編集は終了。映画が出来上がる。ところがハリウッドでは同じ芝居をいろんな角度から撮影する。その素材を編集するので、担当する人の感性やセンスでかなり違ってくる。

引き絵から入り、アップの切り返し。アップから入って引き絵を見せる。いろんなパターンで編集できる。近年、そのハリウッド式。つまり、マルチカム方式で撮影される日本映画が多い。岩井俊二監督。行定勲監督らもこのスタイルと聞く。僕も監督デビュー時というより、学生映画の頃からそのスタイルだ。

だが、当初は日本映画の方法論とは違うため、ベテランの映画人には「邪道だ」と嫌がられることが多かった。が、最近では多くの監督が使う手法であり、若いスタッフは当然のことと理解し近年では全く問題ない。というか、僕らの世代が現場で最年長になり上がいなくなったというのが理由だろう。

そんなハリウッド式で編集するには、ただシナリオ通りに繋いではダメだ。一度だけ、ある作品でスタッフが仮編集をやってくれたことがある。が、もう、学生映画のようなノリで

「こんな風になってしまったのか〜」

と落胆したが、直すといつもの感じが出た。決してそのスタッフの腕が悪い訳ではない。正攻法の編集だとそうなる。気づいたのは、僕の編集が独特ということ。実は編集の勉強をしたことはない。映画学校ではそんな授業があったかもしれないが、その手の授業には出なかったし、本で勉強もしていない。

誰かに師事したこともない。8ミリフィルムを使った学生映画を作りながら、あれこれ試して覚えた。あとは、名作映画をビデオで録り(当時はDVDはなく、レンタルもまだ普及していなかったので、テレビ洋画劇場を録画)気になる編集を繰り返し見て、そのテクニックを覚えた。

ある時、気づいた。僕の映画。シナリオ時には1時間45分くらいなのに(ページ数で上映時間が読める)完成すると2時間超え。毎回、シナリオより長くなる? なんでだろ? と思っていたら、あるスタッフさんに言われた。

「太田さんの編集は間を伸ばすことが多い。だから、長くなるんですよ」

なるほど!自分では気づかなかった。が、これは編集テクニックの基本。例えば.....

男「君のことが好き!」

女「私もあなたが好き」

というセリフがある。この間が問題。もし「好き」と言われて間髪入れずに「私も」とくると、女も男のことが本当に好きだが、その間が長いと「本当は好きじゃないけど、傷つけたくなくて好きと言ったのかも?」という解釈もできる。あるいは「告白に胸打たれて、内気のその女性もついに告白した」という表現にも見える。

それは設定やキャラにもよるが、新人俳優の場合。そこまで考えずに演技することがある。その場合は編集で何とかすることができる。ただ、これが古い日本映画式撮影で、それも2人を真横からツーショットで撮っていたアウト。それぞれの表情を別アングルで撮って初めて編集でなんとかできる。あるハリウッド監督はいう。

「名演技は編集室で作られる」

その通り。さらにその監督はこういう。

「あの女優(S Sさん)。賞を取ってご満悦だが、素材を見たら目も当てられない演技だった。僕らが編集室で奮闘したので、あの演技になった。俺たちが受賞すべきだよな?」

これはかなり皮肉が入っているが、編集次第で作品は大きく変化する。泣けるはずの場面が泣けない。多くは編集だ。先にも書いた間の取り方。センスや感性のない人が編集すると、アウト。僕らが学生時代の日本映画は本当に酷かったが、考えると、当時の編集はかなりお年の方が担当していたのを思い出す。

もちろん、年齢だけではない。ただ、どうしても歳を取ると時代から遅れてしまうことはある。つまり「古臭い」となる。編集はテクニックや技術だけでなく、そんなセンスと感性がとても大事なのだ。とあれこれ書いて話を戻すが、スタジオの人がやってくれた編集に比べて、僕の編集はかなり個性的だと意識した。

例えればキースリチャーズがすでに調整されたギターの弦をあえて緩めて独自の状態のものにして弾いたり。ブライアンメイが手作りでギターを作り、ピック代わりにコインで弾くようなもの。それによって真似できない独特のスタイルを作り出す。そこまで行かないが、僕の方法論も普通ではないようだ。

と言って斬新とか前衛的ではない。編集にこだわらない人が見て僕の編集を「おおー」とは思わない。そして驚かれてはいけない。物語に集中してもらわないければならない。そこに太田組作品が他の映画と違う個性を作り出しているのだと想像する(?)なかなか、自分のスタイルは分からない。


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沖縄戦で知らなかったこと⑤ 「米軍は情け容赦なく、住民を殺しまくったんだよね?」=>違います [編集作業]

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沖縄戦で知らなかったこと⑤

「米軍は情け容赦なく、住民を殺しまくったんだよね?」

違います=>殺害するのは抵抗した時と、隠れて出て来ないときだけ。投降した住民を収容所に入れ食料を与え、怪我人は治療をしました。

えー嘘でしょう?戦争で敵対国の住民にそんなことするかな?

と言って米軍が善意の組織という訳ではありません。

「沖縄戦ドキュメンタリー」でそんな点も説明します。



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沖縄戦ドキュメンタリー経過報告 数秒の地図場面でまる1日作業! [編集作業]

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沖縄戦ドキュメンタリー経過報告 数秒の地図場面でまる1日作業!

編集はかなり完成に近づいた。が、沖縄の地図。戦闘がどこで行われたか? 米軍がどう進撃したか?等を示すためのもの。その地図が届いたので取り込み、ライムライン上で作業する。

本来これは業者に出して、その専門スタッフがアニメーションやCG等を使って制作するパートだ。が、それにはかなりの費用がかかる。そこで様々な絵を描くアーティストさんにお願いして、地図を描いてもらい(出版社が出している地図を使うのは著作権上ダメ)一緒に矢印なども作ってもらい。それを何重にも合成して地図の上に重ねていく。それを僕自身が作業している。

僕がやればタダ。業者に出せば数十万から数百万円。毎回、こんなことをしているから、制作費が2倍3倍かかるものを低予算で仕上げてしまう。1人ブラック企業のようなものだ。が、「このギャラだと、こんなもんだよなあ〜」とそれなりのものしか作らないスタッフて、何のために生きているのか?と思える。

ギャラの額に見合った額で働くことより、観客が感動する、素晴らしい作品を作ることこそがクリーターの喜びではないか? それでこそ次の展開にも繋がる。ま、次も超低予算の依頼が来て、スポンサーはその額で凄いものができると思い込んでいて、皆の血を流すような努力には気づかないものなのだが。

映画のDVDに収録されている特典映像のメイキングでも、ほとんどが予算がないので、ただ撮影現場の映像を繋いだだけ!というものが多く、最初の5分で退屈して止めてしまう。明らかに「ギャラないし、タダでやってくれない?」とPが若手スタッフに無理やり頼んだ感があり、ギャラをもらった編集担当も「この程度の額なら2日で上げないと、バカ見るなあ」という意識で作業している。

僕なんか1ヶ月以上かけて作業してしまうので、毎回赤字。でも、毎回、評判はいい。ま、そんな姿勢もいい加減考えないと生活できなくなるのだけど、今回も専門業社には出さず、数秒の場面を1日かけて毎日作業している。それでもあと一息で編集作業自体が完了する。

次なるステップはサウンドだ。音楽、効果、ナレーション。すでに依頼は済ませて、それぞれの専門家が勧めてくれている。ここは流石に僕がやるわけには行かない。今回は低予算の作品ではあるが、凄い人たちがその辺りを担当してくれることになった。その話はまた別の機会に。



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明け方に突然、目が覚める。1年に何度かある。 [編集作業]

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明け方に突然、目が覚める。1年に何度かある。

目を開けると、暗闇の中の天井。それを見つめていると、物凄い不安と孤独感を感じる。いつの日か、こうして1人。部屋で孤独死して行くんだろうなあ...。外はまだ暗く、部屋は寒さと暗闇の中。編集が3ヶ月に及び、かなり神経が参っているのだろう。編集は孤独との戦いでもある。電灯を点け、あれこれ考えていると、不安が遠ざかる。

起き出して編集作業を始める。新しい素材もネット配信で届いている。感謝感謝。確認して、取り込み。

6年前の今頃は「朝日のあたる家」の撮影。静岡県湖西市の宿舎で寝泊まりしていた。5年前は「朝日のあたる家」全国で公開。半年を超えるロングラン。一時は映画館上映拒否の連続でお蔵入りか?と危ぶまれたが、「だったら、ウチでやりましょう!」と言う映画館が次々に手を上げてくれた。

だが、映画館公開が終わっても、どこのDVDメーカーも手を上げてくれず、DVDは発売できず。それが3年後に発売。さらにNetflixで配信。なんと本日で配信終了。半年以上も配信されていた。最初は冷たい風が吹いていても、少しずつ前に進めるものだと感じる。

「明日にかける橋」DVDは映画館公開終了後。3ヶ月ほどで発売。初回プレスは完売。2回目のプレスもamazonでは残り8枚。嬉しいことだ。さて、最新作のドキュメンタリー「沖縄戦」も春には完成する。全国3カ所くらいでは完成披露上映会が行われるが、映画館公開はまだ出来るか?どうか決まっていない。

もともと、スポンサーが映画として製作していないので、ぜひ、やるべき!と提案中。この1本で沖縄戦が分かる!と言う作品。同時に沖縄を見つめると、今の日本。未来の日本が見えてくる。単なる歴史の勉強では終わらない。沖縄に詳しい人たちは「かつてなかった沖縄戦ドキュメンタリーだ!」と言ってくれている。

実際、amazonで調べても実は沖縄戦のドキュメンタリーDVDは数種類しかない。NHKで放送したもののソフト化。後は記録映像を繋いだだけのもの。書籍はあるが、映像で沖縄戦を知るのはとても難しい。その意味でも今回の作品はとても重要であること。感じる。そんなこんなで外は夜明け。


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本日は地図?!DAY- [編集作業]

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本日は地図?!DAY-

お願いしてあった地図が次々に上がってくる。嬉しい!(上写真はそれではなく、参考のために用意した資料)やはり地図が入るといい感じ!

太平洋戦争を描いたドラマ「パシフィック」も毎回、地図から始まったし、映画なら「レイダーズ」の地図。赤い線が走るあれ。あの映画のリアリティを高めて、世界観を作り出している。

黒澤明監督の映画もよく地図が出てくる。「隠し砦」も地面に地図を描き、どうやって敵陣を突破するか?考えるし、「七人の侍」でも村の地図を作り、どう守るか?を考える。「デルスウザーラ」でも地図ができた。地図は映画内の位置関係を観客に伝える重要なアイテム。ドキュメンタリーも同じだ。

アーティストさん。かなりな腕前。単に位置関係を示すだけでなく、時代感も出すデザインで作ってくれる。それをタイムラインに挿入すると、ウッひひ!と嬉しくなる。さらに、沖縄の世界に観客は引き込まれるはず。作業を続ける。

追伸

地図に続いて資料写真も届く。探していたものが見つかった。それもタイムラインに乗せていく。その2つだけでかなり印象が違う。よりドキュメンタリーぽくなった。



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「朝日のあたる家」の撮影は6年前の今頃だった「原発映画を作ったら、2度と仕事が来なくなる!」と言われたこと思いだす [編集作業]

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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」の撮影は6年前の今頃だった。

「原発映画を作ったら、2度と仕事が来なくなる!」

映画界ではそう言われていた。先輩たちからも何度も止められた。でも、個人的に興味を持ち調べ始めた原発事故。そこで苦しむ福島の人たちのことを知り、原発の危険を知ったことで何かしなければ!と思った。

僕ができること。大したことはできない。知名度もない。金もない。発信もできない。いろいろ考えて、映画で原発事故の悲しみを伝えることならできると思えた。同時に恐怖も感じた、

「どこの誰か分からない奴が圧力をかけてくるかもしれない、殺されるかもしれない。怖い。危険な映画はやめた方がいいか?」

そうも考えたが、そうするなら僕は今後「表現」の仕事はしてはいけないと思えた。表現者失格であり、人間失格。見て見ぬ振りをして「幸せとは何か?」と言う映画を作っても、それは観客には伝わらないだろう。「なぜ、あの時、原発事故の映画を作らなかった。まだ、受けてもいないバッシングや圧力を恐れて諦めるべきではなかった」と一生、後悔すると思えた。

どうしても人は安定を望み、組織は安泰を図る。しかし、「表現」の仕事をするものが「真実」や「歴史」を都合よく改ざん、捏造したり、目の前にある危険や不幸から目を逸らすのは絶対にやってはいけないこと。そう思い映画製作をスタート。山本太郎さんも賛同してくれて出演。多くの人の支援と強力を得て静岡県の湖西市を舞台に映画を完成させた。奇しくもクランクアップが3月11日。

当初、多くの映画館から上映拒否を受け、お蔵入りかとも思われたが、いくつかのマスコミが応援。記事にしてくれて、日本各地の映画館から「だったら、うちでやりましょう!」と言う声がどんどん届き、最終的には25館で公開することができた。いずれの映画館でも大ヒット。東京では5ヶ月ほどロングラン。その年、最大のヒットとなった映画館もある。

言われていた圧力。ゼロと言っていいほどなかった。電力会社からクレームが来ることも、怪しい奴に尾行されることもなく、映画の世界で村八分にされたりすることもなかった。それどころか、その後、2本の劇場用映画を監督。仕事はむしろ順調になる。

つまり「原発映画を監督したら2度と映画は撮れない」と言うのは「そうなるんじゃないの〜」と不安で誰かが言った言葉が一人歩きしていただけで、事実ではなかったのだ。根も葉もない噂。まさに杞憂。それを多くの映画人が真に受けて、避けまくる。勝手に原発映画はヤバイと思い込んでいただけ。

それどころか僕の「朝日のあたる家」が完成する前に、ヒットメーカーである園子温監督も原発事故題材の映画を先に完成させて公開。そして「朝日」の後にも次々に同種の映画が作られた。思ったのは、多くの人が勝手に自粛していたと言うこと。言い方を変えると「忖度」していたのではないか? 原発ムラは巨大。大手企業が中心だ。当然、圧力がかかる。だから、手を出さない方がいい。

人の心理としては分かる。しかし、表現者やマスコミがそれではダメ。自分たちの仕事は何なのか? 広報なのか? 報道なのか? 政府や企業に都合のいい情報を流すことか? 真実を伝えることか? 表現も同じだ。マスコミが報道できないことも芸術の世界では伝えることができる。考えることができる。それが映画であり、音楽であり、漫画であり、小説であり、演劇であり、作品なのだ。

そして「真実」や「歴史」。そして「幸せ」や「不幸」を語ると言うのは、自らが傷つくかも知れない戦い。「圧力があるかもしれないから、やめておこう」と言うのなら「表現」の仕事をするべきではない。

そんなことを考えながら6年前に撮影したこと。思いだす。その「朝日のあたる家」その後はDVDになり、TUTAYAでレンタルもされ、現在はプライムビデオのNETFLIXで配信中。明日、3月1日に終了。チャンスある人は見て欲しい。



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ナレーション原稿。声に出して自分で読んでみる。なかなか大変! [編集作業]

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ナレーション原稿。声に出して自分で読んでみる。

なかなか大変!

「日本軍独立混成第44旅団、第15連隊」

とか早口言葉だなあ。


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昨日はもう、これぞ!「バタバタ」という日だった。 [編集作業]

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昨日はもう、これぞ!「バタバタ」という日だった。

電話、メール、ネット、それらを駆使して調べ物。打ち合わせ。相談。予約。10人ほどを相手に何度も連絡を取り合う。同時に編集機と格闘。書き出しをするが、うまく行かず。その最中にも気になる箇所を見つけて直し。

沖縄戦とは別に頼まれていることがあり、そちらも期限が間近なので、対応。それもあれこれあって進まず、今日に持ち越し。パソコンは便利だがセッティングが大変。HDを繋いだり外したり、USBコードも何種類もあり、そのHDをつなぐためのものを探すところからスタート。押し入れからコードばかり入ったボックスを引っ張り出し、片っ端から試す。

昨日の作業。いくつかは片付けたが、いくつかは本日も引き続き作業。3月に入ると楽になるか?と思っていたが、逆。編集は自分のペースで進められるが、仕上げはいろんな人たちと打ち合わせ。共同作業。おまけに今回も多忙で第1線で活躍する人たちが参加してくれている。スケジュール合わせだけでも大変。

気遣いも必要だし、神経が切れそう!やはり、Pを1人入れるべきだったかなあ。でも、それで取材が1回減っていても辛い。次にドキュメンタリーの依頼があったときは、その辺も考えよう。バタバタになると、1人の作業が遅れると全部が遅れてしまう。こんなときにトラブルが起こると大変なことになるので、連絡。日時。場所の伝達も慎重にせねば。


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本日はプロデュサー日か!? [編集作業]

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本日はプロデュサー日か!?

あれここれ連絡や問い合わせが続き、編集作業ができない。まず、ナレーションを担当してもらう方が決まった。それはいずれご紹介。スタジオも目星をつけて交渉中。MA日も決めなければならない。ナレーターさんの都合、スポンサーの都合、音楽家さんの都合と、いろんな人の都合を合わせねばならない。

それから資料写真。まだほしいのが数枚ある。その問い合わせ。あと、作品内で登場する地図。作ってくださるアーティストさんと打合せ。あと、説明すると時間かかるのでいずれするが、あと3人にメールで頼みごと。諸々、3月に入ってからとは思っていたが、どんどん展開していくので、対応せねばならなくなった。



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春まで監禁状態。作業はまだまだ続く! [編集作業]

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春まで監禁状態。作業はまだまだ続く!

昨日は外回り?打ち合わせのために東京の街を歩き回る。ここ数ヶ月、1日中編集。編集室に閉じこもるので、歩くことがあまりない。都内を何時間も歩くとヘトヘトになる。おまけに打ち合わせでは、あれこれ喋る。世間話でなく、様々な思いも伝えないと行けない。ギャラの交渉もする。精神的にも疲労困憊となる。

Pを雇えばよかったかなあ?とも思う。そうすれば編集に専念できた。が、そのギャランティで沖縄取材が1回減ることなっただろう。今回の作品のクオリティはスタッフを最小限にして、回数取材をしたことで成り立ったのだから、そこはそれでよかったのだ。

さて、ナレーション原稿もあと一息。編集終了の目標が28日なので。あと2日。どうにか間に合った。とは言え、28日で全て完了ではなく、一応、最後まで編集するという目標。何度も書くがそれで

「お疲れ様でした」「おめでとうございます」「完成ですね」

というコメントがよく来る。「ありがとうございます」というのも変だし、そうではないと説明するのも時間を取られる。1人がコメントすると、次々にその手の書き込みがある。本当に困る。

映像製作。映画製作というのは本当に理解されずらく、そのプロセスを知らない方が多い。特殊な業界なので、こちらが注意せねばならない。こちらはまだ作業が続くのにコメントどころか「編集が終わったとFacebookで読んだので」と頼みごとや何かの会へのお誘いを頂く。それでまた返答の時間が取られる。

悪意がない。頼みごと、お誘いの連絡だ。でも、それに返事する余裕がない。そんな風に誤解にもとずいて誰も悪くないのに時間を取られることがある。だから、詳しく書いておくと、正確には2月は編集に専念。3月に入るとそれ以外の作業が始まるということ。それは下旬まで続く。なので、関係者でない方は、春まで連絡をお待ちいただけると助かる。

「飲み会しましょう!」

という連絡はありがたいが、春以降でご一緒できると嬉しい。よろしくお願いします。




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沖縄戦の編集。いよいよ最後の週ー思い出すのはバカなPが編集室に来た時のこと。 [編集作業]

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沖縄戦の編集。いよいよ最後の週ー思い出すのはバカなPが編集室に来た時のこと。

作業は28日できっかり終わる訳ではなく、MAの前日まで作業は続ける。目安として28日としただけで、その日に完成というわけではない。できた!と思っても、数日後に見直すと、あーーということもある。毎日、編集していると気づかぬ問題点もある。その世界に入り込んでしまし客観的な視点をなくすこともある。そんな部分は時間が経たないと気づかない。あとで、大直しというのもある。

編集作業はかなり出来てきたので、本日からは各カットをチェック。カットの入れ替えを行う。当初はまず進めることが大事なので、「海」の映像でも、とりあえず見つけた海を入れて置いたりする。が、全体が出来上がってくると、もっと「広い海」がいいかな?とか、「曇り空の海がいいな!」とか、見えてくるので、それを探す。

膨大な映像があるので、そこから「海」一つを探すだけでも30分、1時間ということがある。なので初期段階では「とりあえずの海」にしておく。なのに、昔はPが途中で映像を見たがって、「この海、違うんじゃないの〜?」とか言い出すのでムカつく。

「後で入れ替えるの!」

というと、冷笑して「本当は気づいてなかったんだろ? 俺が言わないと気づかなかったくせに...」という得意顔。だが、それを替えるだけで1時間かけるなら、作業を少しでも進めた方がいい。その方が全体像が早く見えるし、締め切りまでの段取りも分かる。編集をしたことのない人はそれが分からない。今、ある映像が全てだと思い込む。

「まだ、途中ですよ」

といっても、分からない。

「テロップ入れないの? これじゃ分からないだろ?」

とか口を出す。テロップは最後!! そんなことも分からない。分からないのだから、「テロップはどうするんです?」と聞けばいいのに「入れないと分からないだろ?」とこちらが忘れているかのような言い方をするのでまた腹が立つ。

そんな輩を相手に「これはこうなる。後でこうする」と説明するだけでも時間を取られ、ムカつくだけ。結局、その日は集中できず作業中止ということになる。バカに時間を取られただけ。Pが邪魔しに来たようなものだ。その種の連中は「自分が無知。不勉強であることに気づかず。順番を無視して先の作業ができてないというようなことを言いがち。編集段階で

「色がおかしいんだよなあ〜」

とかよく言う奴がいるが、それは最後の最後にカラコレという作業がある。そんなことも知らずに

「この色。鮮明じゃないなあ。安物のカメラ使っだろう? 撮り直したら?」

とか言い出す。説明すると

「先に言ってくれないと分からないじゃないか?」

とくる。こちらは彼がどこまで無知か?は分からない。知らないなら教えてもらうという態度で来い!

と結局、激怒して、数日間は作業が手に着かずということもあった。pというのは無知な奴が多く、編集に関しては特に不勉強なことが多く、問題を起こす。だから、見せない。見せると問題が起こる。そんなことを思い出しながら、カットの入れ替えをする。

たった1つの「海」という映像でも、8回ほど沖縄に行っているので、その時のいつの海というのを記憶で辿る。膨大な量なので、覚えていないものもある。映像を1から見直して探すこともある。そうなると、1時間では見つからない。2時間、3時間見て、最後の1巻にいい海!があったりする。たった5秒ほどの映像を探すだけで、そんな苦労がある。

昔はディゾルブは本編集でしかできなかったが、ノンリニア編集が普及。FINAL CUTを使うようになってからは、編集作業中にできるのでありがたい。そんなディゾルブの直しも現在、行っている。2秒のダブりか、3秒か? 1秒の差で印象が変わる。

それを編集続行中にやると、リズムが崩れる。とりあえずは進めて、細部はあとというのが基本。まあ、Pというのはそんな時に「細部ができてませんね?」と言い出したりするので、殴りたくなる。

あと、これまでは短くすることを頭に置いてやってきた。僕の劇映画はいつも2時間超えだが、ドキュメントは2時間以内にしたいと思った。1度、2時間10分まで縮めたが、これ以上無理?だが、そこからさらに作業して今は2時間内。でも、今度は短くしすぎた感がある。短くても説明不足はダメ。ということで、そこも直していく。


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なぜ、人は親しくなると自分の価値観を押し付けたくなるのか?=芸能人を自分たちの尺度で批判する人たち [編集作業]

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なぜ、人は親しくなると自分の価値観を押し付けたくなるのか?=芸能人を自分たちの尺度で批判する人たち

先に「アーティストが気難しい理由」という記事を書いたが、書きながら思い出すことが多かった。勘違いする人がいると思うので先に記しておくが「アーティストが偉くて、一般は偉くない」というつもりはない。以前にも書いたがアーティストー芸術家、作家、音楽家、俳優、映画監督という部類の人たちは一般的な日常生活を送れない。だからこそ、ある分野で別の能力を発揮する。ある意味で落ちこぼれの敗者復活戦が「芸能」「芸術」分野なのだ。

それを前提にいうが、住む世界が違う。価値観が違う。生き方が違う。だから、いろんな意味で一般の人と相容れることが難しい。なのに誤解される原因はこうだ。「自分たちの世界があって、その上の方にいるのが才能あるアーティスト」と思い込んでしまう。だから彼らも当然、常識があり、価値観が共有できると思ってしまう。

でも、そうではない。別の世界の住人というのが近い。宇宙人や外国人と思った方が分かりやすい。アメリカ人と日本人だと、価値観、習慣、生活スタイルがかなり違う。それと同じだと思ってほしい。どちらが良いではない。違うのだ。互いに相容れない人種というのが近い。

その意味で僕も若いころから、人との付き合いが煩わしく、面倒だと思っていた。大人たちのいうことに納得ができない。同世代でも同じ。別の宗教かと思う違和感があった。だから、本当に気の合う者としか交流しない。といいながら、どういうわけが友達は多かった。今思うと、そこがトラブルの始まりだったのだが。

気が合う人としか交流しなかったが、映画の仕事をすると、そうはいかないことが多い。企業の人間、地元の人。映画人。俳優。取材対象、マスコミ、専門家、活動家、政治家。いろんな人との交流がある。とはいえ人嫌いではないので、誰とでもうまく付き合うことはできた。

が、それがわざわいとなる。いろんな人が「監督はいい人だ」と近寄って来てくれる。嬉しいことだが、人は親しくなると自分の価値観を押し付けてくる。映画監督なんてそもそもがワガママな存在であり、嫌なことをしない輩なのに、「あれをしてほしい」「これをお願いしたい」と映画以外のことを頼んでくる人がいる。さらに一般人の習慣や価値観を強要してくる。

「あなたのために言っているのよ」「もう少し考え方を変えた方がいいわよ」

親切でいうのは分かる。応援してくれているのも分かる。が、多くはその人たちの価値観や習慣を背景にした助言や説教なのだ。そんな世間でいう良識がある人にはなれないから映画の仕事をしている訳で、いまさら納得できない価値観に染まることはできない。が、

「監督はいい人だから、***を直せば、もっと好かれますよ!」

とか言ってくる人もいる。犯罪者に「更生して真人間になれ」というかのように。最初は我慢しているが、次第にストレスが溜まる。Facebookでもそれがあった。毎日のように、あれこれ言ってくる人たち。でも、嫌っているからではなく、応援しているからであることは分かる。

つまり人は親しくなると、自分たちの世界の価値観や習慣を押し付け、それに染めることが大事なことであり、更生?であり、良きことと無意識に感じているのだ。しかし、そんな価値観や習慣が大嫌いで、映画という表現の世界で「違うだろ〜」と訴える仕事をする人間に、それを押し付けているのだ。

拒否する。あるいは彼らの価値観から外れる行動、発言をすると、「失望した」「裏切られた」「許せない」と騒ぎ出す。そもそもが、映画監督なんてするのは「落ちこぼれ」それを芸術家だとか思うから、失望する。はみ出し者を勘違いして褒めておいて、はみ出すと「裏切れた」はないだろう。日本に来たアメリカ人が靴のままで畳に上がったのを見て

「失望した。いい人だと思ったのに!」

と嘆くようなものだ。習慣が違う。価値観が違う。そのことが最近、明確に思える。前回書いた「アーティストは頭おかしい人が多い?」でも、そうだが本当は別の価値観が存在する。同じ日本人だから。という発想で見ていては分からない。

そんな固定概念で人は助言、アドバイス、応援というの名の批判やクレーム。説教、押し付けを始める。だから、その世界で成功した人の多くは一線を引き、隠れて暮らしたり、一般との接点を絶ったりする。直接連絡できない形態を取るのだろう。ま、Facebookなんてやっていると、そうもいかないただ、以前のように、その手の大きなお世話や批判コメントはほとんないのでありがたい。

芸能人だから気取っている。芸術家だから偉い。映画監督だから凄い。なんてことではない。住む世界が違う。別の価値観で生きている。だから、観客は作品を通してそれを知らされた時に感銘を受けたり、感動したりする。そんな作品ができるのは違う価値観で生きているから。にも関わらず、そんな人たちを自分たちの価値観を押し付けたがる人たちがいる。だが、それが世間というものなのだろう。



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アーティストって頭おかしい人が多い?=その理由を考え分かったこと [編集作業]

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アーティストって頭おかしい人が多い?=その理由を考え分かったこと

芸能人が非常識なことをして逮捕されたり、どうなの?という発言をしてネットで騒がれたりすることよくある。芸能人だけでなく芸術家、作家、画家、音楽家、映画監督と、アート関係の人はおかしな人が多い。

「だから芸術家なんじゃない?」

とよくいわれるが、それでは分かりづらいので少し考えてみる。有名な俳優、ミュージシャンは気難しく、ちょっとしたことで怒り出したり、爆発したりすることが多く、関係者は物凄い気遣いをする。コンサート前に粗相があって、アーティストが帰ってしまったら大変なことだ。

作家の先生に原稿依頼に行く時も、編集者は最大限の気配りをするという。ベストセラー作家に連載を引き受けてもらえたら、何十億という収入が社にもたらされる。が、些細な粗相で作家先生が気分を害して、断られたら、その収入が不意になる。編集者が定年まで働いても得られない額の損失だ。

「有名なんでタカビーになってんだな? だから有名人は嫌いだよ」

という人もいるだろう。一部にはそんな人もいる。が、第1線で作品を作り続けている人たち。作家でも、俳優でも、音楽家でも、映画監督でも、そららの人と会うとやはり凄い!と感じる。普通考えてないことまで考えている。それを実現しようとしている。そして世間やマスコミに騙されていない。振り回されていない。真実はどこにあるのか?それを見つけようとしている。

でないと、第1線で活躍し続けることはできない。一発屋で終わってしまう。それらの人と仕事をさせてもらい、あるいは交流を持って感じること。彼らが怒り出すとき、多くは相手側に問題がある。仕事を頼みに来るとき、仕事をするとき、話をするときに、無神経な発言、金のことしか考えていない、世俗にまみれたこと、価値観の押し付けがあるからだ。

当人はそれに気づかない。会社でも、同僚とでも、友人とでも、その手の話をするし、特別なものでもない。なのに、怒られるので、

「芸術家ってよく分からないなあ。何で怒り出したのか?」

と思ってしまう。結果、あの作家は気難しい、面倒くさいとレッテルを貼って終わり。それを聞いた人たちも同じ認識となる。巨匠の域でなく、若手でも、その手の仕事をする人はむずかしい。例え、おいしい仕事でも、相手が先のような態度なら、拒絶するし、怒り出す。

ある脚本家。無名の人だが、ベテラン。こだわる技法が評判。それを知ったある若いPが仕事を依頼した。

「死ぬ気でやってくださいよ。命がけで書いてくださいよ」

そう励ました。ら、脚本家は怒り出した。

「毎回、死ぬ気でやっている! その作品を見て、あんたは依頼に来たのだろう? その相手に『死ぬ気でやれ』だと、そんなことを言わないと、俺が死ぬ気でやらないと思っているのか!

もし、死ぬ気でやれというのなら、この脚本料はなんだ? この額で命かけろというのか? どんな額でも死ぬ気でやっている。でも、死ぬ気でやれというのなら、それなりの額を提示しろ? お前、どういう思いで『死ぬ気でやれ』と言葉にしている。金でないなら、態度で示せ。お前は死ぬ気でやるのか? その覚悟を見せろ」

励ましの意味で言っただけなのに大袈裟な!と思う人もいるだろう。しかし、脚本家は言葉で仕事をする人。一行のセリフを書くにも物凄い時間をかけ、魂を削って書く。それが脚本家だ。そんな職業の人に言葉で「死ぬ気でやれ」というのは無神経だ。師匠が弟子に「死ぬ気でやれ」というのならまだ分かる。

無名でもそれなりに仕事をしているプロに、若いPが「死ぬ気でやれ」ということ自体が失礼だし、無神経だ。これには背景がある。その脚本家は無名だが、実力あるとPは感じていた。が、会社で提案すると反対が多かった。無名だからだ。でも、それを押し切り、起用を決めた。これでもし、いいものが上がらなければ、Pの立場がなくなる。

で、真剣にやってもらわないと困る。で、「死ぬ気でやれ」と言ってしまったのだ。そのPの未熟さがまずある。クリエーターは命令されるのを嫌う。だから会社員にならず自由業を選んでいる。それを若い奴に「死ぬ気でやれ」と言われて気分を害すだろう。

次に、自分の作品を読んでいれば「死ぬ気」で毎回、書いていることは分かるだろう。それが分からないなら、P失格であり、共に仕事をする資格はない。さらに、会社での立場。自己保身のために、いいものを書いてもらわなければならない。その思いが「死ぬ気で」という言葉になっていることを感じた。

「この人は自分の自己保身のために、死ぬ気でやれと言っている。なのに自分は命がけでやるという姿勢が見えない。『俺の立場があるので、死ぬ気でやれ』と言っているだけだ」

そう感じたのだろう。言葉を使う仕事をしている者なら、そのくらいのこと見抜いてしまう。Pは自分の言葉で相手がどう感じるか?も考えず、自分の立場がなくなるという危機感があるので、安易に作家にプレッシャーをかけてしまったのだ。

「先生の作品は毎回、命がけで書いていること感じます。今回もきっと素晴らしいものができると信じています」

といえば、作家は大喜びで仕事を引き受けただろう。それを「死ぬ気でやれ」なんて言ってしまった。ただ、Pは作家の力を認めており、社内の反対を押し切って依頼している。そこは評価できるのだが、その先があまりにも無神経。たぶん、自分のことで精一杯だったのだろうが、それでは気難しいアーティストたちを使うことはできない。

作品作りをしている人たち。その多くは毎回、全力で、命がけで仕事する。そんな人にあえて「死ぬ気で」というのは、「日ごろは死ぬ気でやっていないでしょうが、今回は死ぬ気で」というのと同じでもある。Pの多くはサラリーマンでありクリエーターではない。彼らの気持ちを察するのは苦手だ。編集者でも、スポンサーでも同じ。

ちまたでは「Pですか?凄い」「編集者ですか!」と思われるが、クリエーターたちには通用しない。だから、できるPや編集者はその辺を心得ている。だから、きむずかしい作家や音楽家たちが、その人との仕事は快く引き受け、いいものを作ってくれる。要はサラリーマンの価値観や都合を押し付けると、トラブルということ。

アーティストたちは気難しいのではない。別の価値観で生きている人たち。そこに自分たちの都合や価値観を押し付けることが問題なのだ。それが分からないので「きむずかしい」というレッテルを貼ってしまうのである。


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