SSブログ

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」はこんな感じの映画だ。 [お知らせ]




 「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

  特報みたいなものを試しに作りました。

  まだ、正式なものではないですが、イメージ伝わるかな?





70205490_2979004485507169_8465717918687035392_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

楽しみにしていたタランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」=少し長いが解説をどうぞ! [映画&ドラマ感想]

69634432_2979284978812453_7024358307540238336_n.jpg


楽しみにしていたタランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」=少し長いが解説をどうぞ!

ようやく観ることができた。多分、一般の人が見れば「なんじゃこれは〜」という映画だろう。ま、その意味ではマニアックなタランティーノ的作品ということで理解できるかも?だが、今回は個人的にいろいろ思うところがあった。

舞台は1969年のハリウッド。

落ち目の俳優(デカプリオ)と彼のダブルでもあるスタントマン(ブラピ)を中心に、女優のシャロンテートやロマン・ポランスキー監督、大スターのSマックイーンら実在の人物も登場(もちろん俳優が演じている)するハリウッド物語。

僕がこの映画を知ったのはアメリカの映画サイト。Facebookで「いいね」を押してあるので、毎日流れてくるのだが、そこに一枚の懐かしい写真。ハリウッドのプッシー・キャット・シアター。と言っても何のことか分からないので説明する。この映画チェーンはアダルト映画を専門に上映するところで、僕がLAに留学した頃はまだ残っていた。日本でいうと日活ロマンポルノに近い存在。

ダウンタウンから行くと、ハリウッド・ブルーバードに入ったあたりのフィリーウェイとの交差したあたりに1軒。そしてチャイニーズ・シアターの近所にも1軒あった。僕が帰国するあたりから無くなり今はもうない。ビデオデッキの普及でHな映画を自宅で見れるようになったのが理由。そのチェーンは1960年代からあったようだ。

その映画館のスチールがアップされていて「おー」と思ったが、解説を読むと、「これは当時の写真ではなく、タランティーノの新作のためにハリウッドにある建物を改造して当時の映画館を再現した」と書かれおり、さらにビックリ!それこそが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」だ。

さらにシネラマドーム

こちらはハリウッド通りの南にあるサンセット通りにある有名な映画館。ウエストウッドのビレッジ(これも映画館)が予告編に登場。ワクワクしていた。それら映画館は留学中に何度も訪れている。という興味もあり楽しみにしていた。

ところが、期待の(?)プッシーキャットシアターはピントの合わない背景として、その近所をブラピが車で通り過ぎるだけ!そのシーンは2回あるが数秒。先のスチールで見ると別の建物に看板をつけ、ポスターを貼り、上映中の映画のタイトルを表示。ものすごく手間をかけていたのに、あれでは誰が気づくの?という感じ。

さらに当時の映画「トラトラトラ」

の巨大ビルボードも撮影所の場面で出て来るのだが、これも一瞬で気づく人は少ないだろう。まあ、そんな贅沢なセットをいくつも用意。何じゃこれは!というよく分からない物語が進む。が、映画ファンなら知っていると思うが、女優のシャロン・テートはあの事件で有名。そうまさに「シャロンテート事件」の犠牲者なのだ。



カルトグループのボス・チャールズ・マンソンとその子分たち(小さなオウム真理教のような集団)が自宅に乱入。妊娠中のシャロンを惨殺した事件だ。夫のポランスキー監督は「ローズマリーの赤ちゃん」をヒットさせたばかりの注目の鬼才。たまたま、ロンドンにいたので無事だったが、そことが原因なのか?のちに幼女強姦事件を起こし、今もアメリカに入国すると逮捕される。

その後、監督した映画がナスターシャ キンスキー主演の「テス」。劇中でシャロンがウエストウッドの映画館に行く前に本屋に寄るが、そこで取り寄せたのが「テス」の原作本。そして、映画館で自分が出演している「サイレンサー破壊部隊」を見る。この辺がタランティーノ。

さらにブルースリーも登場。

ちょうど彼は「グリーンホーネット」のケイト(加藤?)役で活躍していた頃。タランティーノはリーも大好きのようで「キルビル」でユナ・サーマンが着ていたのは「死亡遊戯」のリーの衣装と同じデザイン。

リー役の俳優も「燃えよドラゴン」等を見て勉強したようだが、リーが奇声(あちょーというあれ)を上げるのは「怒りの鉄拳」(1972年)以降で、1971年製作の「ドラゴン危機一髪」でさえ奇声は上げない。なので69年にリーが「あちょー」というのはおかしいが、あれがないとブルースリーと分からなくなるということかもしれない。

あと、ブラピとの対決シーンで、リー役の俳優が本人の細かい動作(鼻を触る等)をしているが、リーは相手に飛びかかる前に声は上げない。あれではチンピラの奇声。そんなところが少し気になる。

劇中でデカプリオたちが見るテレビドラマ。多くは本物のドラマで「FBI」はめっちゃ懐かしい。長年続いたシリーズなので、僕も中学の頃に見ていた。あと、車で走るときに流れるカーラジオのFM。あれ子はもう、めっちゃLA。住んだことがあれば誰しもそう感じる。

僕が生活したのは80年代後半の6年くらいだが、同じ時代にタランティーノもLAにいた。というより彼は生まれも育ちもLAなので、その辺の思い入れがよく分かる。

最後に「シャロンテート事件」

をどう描くか?心配だったが、なるほど!という感じ。そこにタランティーノの愛を感じた。そんな意味でLAとハリウッドと映画とテレビドラマが好きな人はとても楽しめる



70205490_2979004485507169_8465717918687035392_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

横浜20才前。矢沢永吉のレコードと「成り上がり」の思い出 [思い出物語]

69878685_2979375875470030_5818904538244972544_n.jpg

横浜20才前。矢沢永吉のレコードと「成り上がり」の思い出

「ミュージックフェア」になんと矢沢永吉が2週連続でゲスト出演。タイマー録画したものを見た。9月14日で70歳になる矢沢が久々のニューアルバムを出すので、今回は結構テレビに出ている。嵐の番組にも出たらしいが、それは見逃した。NHKのは見た。あれはもうほとんど「矢沢ヒストリー3」だった(知らない人には意味不明?)

矢沢のデビューは僕が中学生の頃。

当時の僕は日本の歌はほとんど聞かず、ビートルズやエルトン・ジョン。それが高校を卒業。横浜にある映画学校に進んだとき、同級生に矢沢の大ファンがいた。当時ベストセラーだった「成り上がり」を借り読み大感動。だって、矢沢はミュージシャンを目指して東京に出ようと、広島から夜行で旅立ち。なぜか横浜で降りて、そこで素人バンドを始めた。

僕は東京の映画学校に行こうと考えていたが、なぜか?横浜の学校にして、その街で学生映画を始めた。ダブるものがある。矢沢のレコードを聞いてみた。「おー日本の歌もいいぜよ!」と感じ、噂のコンサートにも行きたくなった。が、矢沢というと友人たちの拒否反応が強く、当時は暴走族のアイドルのような感じ。コンサートも不良の集会とか言われていた。

が、生で見てみたくて1人で会場へ。凄かった。1曲めから武道館が揺れた。最後はタオルが舞う。アルバム「I am a modl」の時だ。その「E’」「 Raising Sun」「Yazawa」「PM9」は全部聴いている。横浜スタジアム、神奈川県民ホール、横浜市立体育館と、いつも1人でコンサートへ。

その頃、矢沢はアメリカ進出を始めていた。

僕は横浜の映画学校に入学したが、最悪。3ヶ月で登校拒否。何のプラスもないと感じて学生映画をやっていた。が、高校時代からの夢があった。「アメリカの映画学校で勉強したい。ルーカスが学んだLAのUSC映画科に行きたい」と思っていたら、矢沢が先にLAに行ってしまった。

僕がやろうとしていることを矢沢が先にやってしまう。後追いしているように思われると悔しい。が、音楽と映画の違いはあれど、先を走る日本人がいること。励みになる。映画も音楽も日本に閉じこもって日本人だけを相手にやっていてはいけない。そう思っていたが、実践する人はいなかった。そんな中、ジャンルは違うが海外に出て行く矢沢がいた。

僕がUSC映画科に合格した頃。

矢沢のアルバム「FLUSH IN JAPAN」が全米で発売されたと知り、LAのタワーレコードで探した。見つからないので店員に聞くと「Yazawa? I have hard of that」というので、とんでもない勘違いしたものを持ってくると思ったら、本当に矢沢のレコードを持って戻ってきた。マジに全米発売されていたのだ。

そんな話を書き出すと、またまた長くなるので、まとめたい。僕がLA生活を始めたときに日本でリリースされたのが「Yokohama 20才前」だ。18才で大阪の高校を卒業。夜行列車で横浜へ。まさに20才前。そして矢沢の歌には横浜を歌ったものが多い。そんなことを考えながら「ミュージックフェア」を見ていると「ニューグランドホテル」を歌っていた。これもいろいろ思い出がダブる。

18才のときに読んだ「成り上がり」

落ち込んだとき、悩んだときに読み返した。ジャンルは違っても、同じように夢追う人の言葉には励まされる。まあ、僕は矢沢ほどビッグにもなっていないし、有名でもない。が、もしかしたら、今18才の高校生が映画監督になるの夢見て、僕のブログを読んでいるかもしれない。あの時の僕のように、それが何かの助けになれば...と毎日、あれこれ書いている。



70205490_2979004485507169_8465717918687035392_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画