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1年前。そして今年。そして来年。「Believe」と「10years」諦めてはいけない。 [思い出物語]

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1年前。そして今年。そして来年。「Believe」と「10years」諦めてはいけない。

1年前の今日は茨城県の土浦にいた。駅から15分ほどのところにあるセントラルシネマという映画館で「明日にかける橋」を3週間ほど上映してくれていた。少し遠いが出かけ「監督です」とは言わず、入場料を払って見た。

そこで自身の監督作「明日にかける橋」を見たあと、駅前でうな丼を食べた。その町の名物らしい。昨年の夏も暑く、かなりバテていたので「たまにはいいか!」と注文。隣の席に品のいい老父婦がいて声をかけられた。

「観光ですか?」

「自分で監督した映画を見に来ました」というのも変なので「ええ、まあ」と答えた。その老夫婦は横浜から観光で来たという。歳をとって夫婦で近場の観光。素敵だ。僕が1人でビールを飲んでいると、夫の方が「僕もビールにしよう」と注文。奥さんに「ほら、車で来なくてよかったでしょう?」と言い、僕の方を向きこう聞いた。

「劇団の方ですか?」

おお、近い! と思ったが、長い髪、Tシャツの上にアロハ。ひと昔前ならヒッピーだ。

「劇団。近い商売です。なぜ分かりました?」

「知り合いに劇団を主宰している人がいて、雰囲気が似ていたので...」

似たような業界だ。それに50代後半にもなって、平日の昼間からこんな格好で、1人ビールを飲むのはカタギではない。と言ってヤクザでもないので、残るは芸能界?という推理もありだ。それ以上会話は続かず。うなぎを食べ終わり「お先に」と店を出た。

それが1年前の今日。今年はお世話になった方の個展に行き。帰りに東京駅で1人ビールを飲み、ソーセージ入りのパンを食べた。電車で最寄り駅まで帰り着き、「今年も、うな丼を食べようか?」とファミレスに入ったが、メニューになかった。角ハイボールとグラスワイン。1人で乾杯。さっきのパンでなぜか満腹。つまみはサラダのみ。amazonミュージックをヘッドフォンで聴きながら飲んだ。

矢沢永吉の古いアルバム。

「バーボン人生」が入ったベスト版の一枚。彼はこの9月で70歳になる。9月14日がバースデー。70歳のロッカー。凄い。僕はいくつまで監督業を続けられるのだろう? ちなみに歌手のBスプリングスティーンも9月生まれ。ついでにレイ・チャールズも、オーティス・レティングも、ロジャー・ウォータースも。さらに長渕剛も9月生まれ。皆、ミュージシャン。それも個性がかなり強い。9月生まれって何かあるのか?

矢沢の歌を口ずさみながら夜道を歩く。次はアニマルズの「朝日のあたる家」。あれ? 渡辺美里の「ムーンライトダンス」と出だしが同じメロディだ! 昔から知っている曲なのに歌うことで気づいた。そこから美里の歌「Beleive」を口ずさむ。1987年のヒット曲。 LA留学から一時帰国した時に何度も聴いた。

人生で1、2を競うほど辛い時期

で、僕は「東京回転編」と物語のように呼んでいる。未来が見えなくて、絶望と格闘していた。話が長くなるので簡単にいうと、シネマスクールでは全米NO1と言われるUSCの映画科に合格はしていたが、そこで勉強しても映画監督に繋がるわけではないことに気づいた。学校で映画は学べない。これからどこに向かって進めばいいのか?途方に暮れていた。その時に日本に一時帰国。答えを探して歩いた。そして励まされたのがその歌。

「夢を夢のままでは終わらせないでいて...」

そのあとの歌詞通りに「いつもの君になれるまで自由に生きることさ!」と東京を放浪してLAに戻った。その時は想像もしなかったが、それからちょうど10年後。(美里の歌にも「10years」というのがあるが、)10年後の1997年に僕は監督デビューする。諦めてはいけないということだ。夢を夢で終わらせることはなかった。

今夜、ふと口ずさんだその歌。歌いながら歌詞を噛みしめると、あの頃の思いがこみ上げ、泣きそうになった。でも、この先の10年はどうだ? 矢沢のように70歳になった時はどうだ? 映画の仕事を続けているのだろうか? そんなことを考える。が、まず来年の今日にこそ、うな丼を食べて、今度はamazonで美里を聴こう。そう考えながら夜空を見上げると、月が優しく輝いていた....。


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あの時の俳優の卵。無名だがプロの役者としてまだ頑張っていることを知る [映画業界物語]

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あの時の俳優の卵。無名だがプロの役者としてまだ頑張っていることを知る

もう15年ほど前になるが、俳優の卵たちを応援すべく毎月、無料のワークショップをしていたことがある。飯を食わせたり、芝居に連れて行ったりもしたが、そのことで甘えが生まれた。

いつしか監督ではなく、理解ある兄ちゃん。応援してくれるオジさんになっていた。監督依頼が来ると「私たち、俺たちも当然出してもらえる!」という気分になっていた。ただ、僕は自分の飯代を削っても卵たちに食わせたりしたが、作品は妥協しない。「頑張っているから役をやろう」「現場で勉強させよう」ということはしない。

僕は彼らの教師でも、マネージャーでも、指導員でもない。素晴らしい作品を作ることが仕事。キャラの合わない。実力の伴わない俳優は起用しない。卵たちだけでなく、P(プロデュサー)が権力を使い「この子。お願いしますね」とねじ込んで来る俳優がいても、絶対に受け入れない。自身が認める者以外は承認しない。

本来はそこで忖度すれば次の仕事に繋がるのに、そのせいで一度仕事をしたPは「何様だ!あの監督。融通が効かないなあ」と嫌われて二度と依頼をくれなかった。でも、大手プロダクションの新人を作品に入れることでPたちは金をもらったり、恩を売ったりしている。それには加担できない。大切なのは素晴らしい作品を作ること。

だから、可愛がっていた卵たちにも容赦がない。そのことで「失望した」「裏切られた」「認めてもらえない」と去って行く若手もいた。そんなことがあって、若手応援をやめ、俳優とは甘えが生まれないように、距離を置くことにした。以降の監督作も全て僕自身が「この俳優しかいない!」というキャスティングをした。義理人情では選んでいない。

ただ、時々、あの時の卵たちがどうしているのか?考えることがある。ほとんどが夢破れ、もう東京にはいないようだ。あるいは堅気の仕事をしているのかもしれない。ところが、ある映画学校の実習発表のHPを偶然見たときに、あの時の一人が出演しているのを見つけた! 昔の実習は俳優科の生徒が出演することが多かったが、最近ではプロ経験がある俳優がボランティアで出ることがある。

彼は無名だが、アルバイトをしながら俳優業を続けているようだった。映画に1ー2本。小さな役で出演したようだ。そろそろ40に近いと思うが、今も頑張っていることを知り嬉しい。ただ、学生の実習に出るということは、今も大して仕事がないということ。それでもカメラの前に立ち、芝居をするのは勉強になる。例え学生映画でも。やる気を感じる。

会って飯でも奢ってやりたい!と思えたが、それはダメだ。また甘えが生まれる。「監督は俺を覚えていてくれた。次回作で出してくれるかも?」と期待するだろう。もちろん、ふさわしい役があればいいが、昔なじみということでは出さない。何より未だに売れていないということは、実力も伸びていないということ。

それでも頑張っている奴がいることは嬉しかった。遠くから応援したい。いつか「あー、この役はあいつしかない!」ということがあれば連絡しよう。彼はもうプロだ。その日を楽しみに実習作品紹介のHPを見ながら1人乾杯した。



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小説「官邸ポリス」お勧めできないが、フェイクの背景を一応、推理しておく? [読書]

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小説「官邸ポリス」お勧めできないが、フェイクの背景を一応、推理しておく?

安倍政権を影で支える官邸ポリスの暗躍ぶりを描き、物語の97%が事実であるという売りで話題になった本。登場人物の名前も多部敬三ー総理。多部恵子総理夫人。館 咲子ー夫人秘書。今野雅也ー総理政務秘書官。山本 巧ー東日本テレビNY支局長。野村 覚ー警視庁刑事部長と誰もがすぐ誰のことか?分かる名前で登場する。

読んでみたが驚くべき事実は描かれていない。ほとんどあらすじのような話。多くがすでに言われていること。元警察官僚が書いたということで、確かに庁舎や部署の表現。尾行や情報収集の描写はリアルだ。

が、肝心の事件(伊藤詩織さん事件。前川事務次官事件等をモデルにしたもの)に著者は実際に関わった訳ではないと感じる。近い部署にいたのであれこれ聞いた話とマスコミが流した話で推理して書いた。だから、あらすじのような物語になった。実際に関わっていないし、著者はプロの作家ではないので表現力もないので、その場にいたようには書けなかった。

また、物語に政権批判は出てこない。劇中の多部敬三総理が黒幕という話もない。むしろ彼は何ら汚い手を使っておらず、官邸ポリスが忖度して邪魔者を排除したという展開。それどころか物語の中で総理は国民に評価されているという話まで出て来る。前川さんの事件は疑惑がかけられたというところで終わり、「真剣に風俗通いをしていたのではない」という描写はないので、事件を知らない人は誤解するだろう。

つまり、総理側近から指示された官邸ポリスが悪辣な手で都合の悪い人を落し入れるという話というより、愛国心があるポリスたちが総理を守るために活躍。それこそが国を守ることである。その現実を皮肉るとか、いうものではない。歪んだ物語なのだ。東京新聞の望月衣そ子さんが名前も顔も未公表の著者にインタビューした時も、まさにそこがテーマだったと告げたらしい。物語からも「政権は許せない。やり方が汚い!」という憤りは感じられない。

言われていた官邸の裏部隊である官邸ポリスの暗躍振りを暴露する物語ではなかった。あれ? 似たような記事を書いたのを思い出す。あの映画だ。あれも宣伝されていたように官邸の暗部に斬り込む危険なドラマではなく、昭和に流行った「事件記者」ものを焼き直しただけで、何ら現代の政権とは関係のないフィクション。それをいかにもセンセーショナルな映画であるような宣伝をしヒットさせた。

この「官邸ポリス」もほぼ同じ構図だ。想像するに、作家は本当に警察官僚。彼に出版社がアプローチ。「政権を支える影の組織を描いた小説を書きませんか? なるべく誰がモデルか分かる形で!」匿名で構いません。しかし、彼は話題の事件には関わっていない。ただ、誰がどんな指示をして、どのように工作が行われたか?は想像が付く。プロの作家ではないので、あらすじのような小説になった。何より彼に政権批判の気持ちはない。

それを出版社が事件の裏を知る元官僚がその事実を暴露した小説であるかのような宣伝。「原発ホワイトアウト」のようなスタイルであると勘違いさせるアピールをする。多くの人がそれに誘導されて本を買い、ヒットした。あの映画と同じ構図。

そこから言えるのは「あの政権なら汚い手を使っているに違いない」という人々の憤慨があるということ。「真実を知りたい」「闇を切り裂いて欲しい」という思いを利用して中身のない小説を出版、見事に引っかかったということではないか? 「フェイクに騙されるな!」といつも書く僕も、しっかり買って読んでしまった。

ちなみに先の映画。望月さんの著書を「原案」としてクレジットしているが、多分、こちらの小説をモデルにしている。メインキャラ二人が酷似。そして中身がないのに「これは凄い」と思わせる手法も同じ。読まない方がいいと言いたいところだが、こうして誘導されるという勉強にもなるので、興味と、暇と、お金のある方ならぜひ。

参考=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-08-16-2

ポリス=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-09-03-2



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