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「ドキュメンタリー沖縄戦」は戦争体験者の声が中心。まず、当事者の話を聞くことでいろんなことが見えてくる! [沖縄の現実]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」は戦争体験者の声が中心。まず、当事者の話を聞くことでいろんなことが見えてくる!

沖縄戦のこと。知らない人がとても多い。ま、僕もついこの間までそうだったので偉そうには言えない。知らないのはまだいいが、どこかで聞きかじっただけの間違った知識でツイートしたり、得意げに話をしたりする人もいる。先日、紹介した友人の同僚もそうだが、それが拡散されて、間違った知識が広がる。それを利用する人たちもいる。

同僚の話ー https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-08-31-1

「ドキュメンタリー沖縄戦」(秋に沖縄で完成披露試写会あり)の下調べで、YouTubeをあれこれ見ていると、明らかにおかしい解説をしている動画を見つけた。番組形式にして司会者がいて沖縄戦を説明するのだが、誘導があり、誇張があり、事実を曲げていた。「なんじゃこれは!」と思っていると、最後にクレジットが出る。新興宗教団体が制作だった。

ああ、あそこはこういう思想の人たちだったのか!と分かった訳だが、歴史を改ざんしようとする人たちは存在する。大事なことはまず本質を知ること。主義主張ではなく事実を見つめること。その意味で今回の「ドキュメンタリー沖縄戦」は当時を体験した人たちの経験談を中心にまとめている。彼ら彼女らが見たもの、聞いたもの、感じたものは何なのか?

それをまず知ることが大事だと考える。当事者の声を聞かず、戦争を知らない者が集まってあーだこーだいう前にまず、体験者の声を聞くことが必要だ。そこからいろんなことが見えてくる。そんな「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」はまず、沖縄で完成披露試写会が秋に行われる。お楽しみに!


特報=> https://youtu.be/Wv5MK0fRauI


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「右だ、左だ」と分けたがる人は「考える力」が弱い? レッテル貼りに隠された国民誘導テクニックにダマされるな! [MyOpinion]

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「右だ、左だ」と分けたがる人は「考える力」が弱い? レッテル貼りに隠された国民誘導テクニックにダマされるな!

「あいつは左翼なんだよ」

というサラリーマンの友人がいたので、厳しく注意した。彼は真面目な40代。政治活動をしているとかではないのだが、会社の馬鹿な連中がその表現をするので影響を受けたようだ。前にも記事にしたが、右だ。左だ。共産主義だ。ポピュリズムだと、なぜ、古い価値観で分ける必要があるのか? それだけでズレている。

「山本太郎は左派ポピュリズム」という記事を書いた元新聞記者もいたが、内容は的外れ、その種のカテゴリー分けをする人は時代について行けていないことが多い。「左」「右」だけでなく、

「あいつは中卒」「あいつは一流大学」

「彼は外資系」「あの人はブルーカラー」

とすぐにカテゴリー分け(?)する人もいる。正確にいうとレッテルを貼る人も多い。そのことで人の価値や方向性を決めようとするのだ。「あの人は左らしい。だったら官邸前のデモ行ったりしてんだろうなあ。関わると煩いから距離を置こう」とか「あの人は外資系。英語もできて優秀なのよ」とか、レッテルを貼ることで理解しようとする。

そんなタイプは往々にして分析する能力がなく、自分の尺度を持たず、相手を適正に評価する力がないので、カテゴリー分けしてレッテルを貼ることでしか理解できないのだ。そのレッテルがあることで、あれこれ考えるのが苦手は人は、ステレオタイプを想像。分かった気になれる。

戦中戦後に言われた「アカ」というもある。共産主義者のことだ。ソ連の社会主義が世界を脅かしていた頃に、日本でも何か普通でないと「あの人はアカだ」と差別し、距離を置いた。同じ部類では「非国民」もある。戦争に疑問を持つと「お前は非国民だ」と近所からも阻害された。

そんなレッテルを貼ることは、支配する側。差別を助長する人たちには都合がいい。それが事実でなくても「非国民」というレッテルを貼れば、周りの人たちが放っておいても差別し、批判し、リンチまがいなことをして粛清してくれる。支配者には本当に便利。かなり昔だが子供時代に「ガンダム」をテレビで見ていると、父を訪ねて来ていた年配の人。ある業界でかなりな立場の方がこう聞いて来た。

「どれがガンダム? どっちが良い者で、どっちが悪いやつなの?」

僕は10代だったが「大人って馬鹿だなあ」と感じた。「ガンダム」世界に正義や悪はない。アニメは当時から進んでいた。「右」だ「左」だいう人は、それを思い出させる。

ただ、そんなレッテル貼りに乗せられる人も多い。「考える力が」ない人には理解しやすいから。あの総理は「レッテル貼りはやめてください」と言いながら自身が一番レッテル貼りをしている。差別主義者、市民を誘導したい人たちはレッテルをよく利用する。乗せられてはいけない。その手の言葉を使う人がいたら注意してほしい。



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「自分さえ良ければいいの!」という言葉の問題=意外に好評の訳。「これからは自分ファースト」の時代? [MyOpinion]

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「自分さえ良ければいいの!」という言葉の問題=意外に好評の訳。「これからは自分ファースト」の時代?

意外だった。先の記事がとても評判。日本では「自分が犠牲になっても他人のために」というのが美しいという価値観がある。その類語が「自分さえ良ければいいの」だ。「自分がいいだけ」はセルフィッシュであり、自己中ということ。他人が困っていても平気。人でなし!という意味。確かに他人のために何かをする。ということは美しいことではある。

が、今は特に庶民を利用する手段として使われている気がする。先の記事で紹介した国民年金のCMでも、人気タレントが正義を振りかざしたように、年金を払わないという若者に「自分さえ良ければいいの!」と注意する。その結果が年金生活者は支えているが、それを払っている世代は「老後までに2000万円貯めろ!」と言われる。

「自分さえ良ければいいの」と言われて、他人のために頑張ったら、後でバカを見たという構図になってしまう。「それでもお年寄りのために役立てばいいんだよ」とヒーローものなら、カッコよく去っていくのだろうが、年金を払っている若い人たちはどうすればいいのか? 税金を貧しい国にばらまく総理がいる。国自体がもう後進国なのに、何勘違いしているの?という感じだ。あれも「自分さえ良ければいいのか?」という発想で弁護するのか?

ばら撒く金を国内で使えばどれだけ多くの人が助かるか? さらに国が国に金を出すというのは、担当した政治家がキックバックを受けるのが常識。また、消費税も「福祉に使います」と言いながら、ほとんどは金持ち企業の減税分の穴埋めに使われた。これも「自分さえ良ければいいのか? 老人や困った人のための消費税だ」と思って払ったものだ。

要は「自分さえ良ければいいのか?」と言う人は相手に罪の意識を感じさせて、犠牲を強いる。自分は何もせず、裏で儲けるだけ。支配者(政治家、社長、上司、等)が下の立場の者に犠牲を強いるときに使う都合のいい言葉ということだ。先にも書いたが「文句を言うな」「人のせいにするな」「努力が足りない」も同義語。相手に罪の意識を持たせて反論させないための言葉。これで戦争になり「行きたくない!」というと「自分さえ良ければいいのか!この非国民」と言われるようになるだろう。

そう考えるとトランプの「アメリカファースト」は正解。「今後、アメリカは他国に干渉せず。自分たちのことを一番に考えてやっていく」と言うようなこと。干渉というのは戦争だ。だから、世界の警察も辞める。戦争をしなければ自国のことに専念できる。同じ発想でいけば会社のためと、土日も働いたり、それこそ「福祉のため」と消費税値上げに納得する必要はないのだ。それは利用されていると言うこと。美しい行為ではない。「自分ファースト」「家族ファースト」がこれからの価値観だと思える。


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「官邸ポリス」いろんな名前の登場人物。誰がモデルなのだろう? [読書]

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いろんな名前の登場人物。誰がモデルなのだろう?

多部敬三ー総理

多部恵子総理夫人

館 咲子ー夫人秘書

今野雅也ー総理政務秘書官

山本 巧ー東日本テレビ、ニューヨーク支局長

野村 覚ー警視庁刑事部長


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「朝日のあたる家」の感想をツイートしてくれた方がいる。ご紹介する。 [れいわ新選組]

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「朝日のあたる家」の感想をツイートしてくれた方がいる。ご本人の許可を頂き掲載する。

「朝日のあたる家」借りて見ました。立派な映画です。

中程と最後の長女の言葉が全く予想外で驚嘆した。

フクシマ中通りの身は事故後の施策の酷薄、残酷、不条理、理不尽を渾身の力で書かねばと思いました。

山本太郎がれいわ新選組の代表に立つ予見的な役回りに見え、

監督の力に敬意を抱きました。凄い!

(by夜は真夜中)



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「自分さえ良ければそれでいいの!」という言葉で、国民は操られる? [MyOpinion]

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「自分さえ良ければそれでいいの!」という言葉で、国民は操られる?

缶コーヒーCMで大ブレイクした癒し系女性タレント。一時期CMに出まくっていた。1990年代だったか? 彼女が国民年金のCMにも起用された。まだ、今のように「失われた年金」が大騒ぎになるずっと前。でも、このまま年金を払っていても将来大丈夫?という世論が出ていた頃。年金を払わない若い層が増えて来たので、若い世代に人気のタレントを起用。「年金を払おう」という広告を打ったのだ。

CMでは歩道橋でダベるいかにもという若者二人。「年金なんて払わなくてもいいじゃん」と言っていると、彼女が現れて「自分だけ良ければいいの!」と厳しく指摘する。その言葉がものすごく引っかかった。しかし、それから20年以上が経ち、年金はどうなったか? 消えた年金は「最後のお一人まで」と言いながら、調査は打ち切りになった。実際に払っていたのに記録がなくなり、正規の額をもらえていない人は今もいるはずだ。(報道されないけど)

そして若い世代は払った額より安い額しかもらえない。さらに後の世代は払った額の半分。つまり、今のお年寄りのために年金を払い生活を支えているのに、自分の老後は支えられないということ。歳を取っても仕事をせねばならないということだ。これまさにCMタレントのセリフ通りだ。「自分さえ良ければいいの!」と言われ支払いを続けたら、他人は支えたが、自分の老後が危なくなった。

その件だけに関わらず、「自分さえ良ければいい」という言葉。先の記事にも書いたが、支配者が国民を縛るために、とても都合のいい言葉ではないか?と思えるのだ。仲間やコミュニティが大好きな日本人。その中で、わがままを言わさないためには「自分さえ良ければいいのか?」と問えばいい。「人はどうなってもいいのか?」という意味であり、他人のためには苦しみも分かち合えということだ。

しかし、それで他人が本当に浮かばれるのならいい。それが「消費税」のように「福祉のために使います」というので「自分さえ良ければいい」とは思わない真面目な日本人は受け入れ、5%8%と払い続けた。が、実は福祉ではなく金持ちの税金を安くした分を補填していただけだと分かる。

山本太郎さんも演説で何度も指摘した通り。つまり「自分さえ良ければいいの?」という言葉も、罪悪感を掻き立てるもので、「私は自分のことしか考えない利己主義で、冷酷な存在だ」と感じさせる。人の優しさにつけ込む、ズル賢い言葉だ。支配者に都合のいいマジックワードではないか?と思えてしまう。

これからは「自分が良ければいい。他人はその次」でいいのではないか? まず、自分を大事にする。それから他人。であることが、ダマされないためには重要かもしれない。

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「朝日のあたる家」原発事故を描いた映画。山本太郎出演。Netflixに配信リクエストを! [2019]

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映画「朝日のあたる家」

原発事故の悲劇を描いた物語。

山本太郎が感動の名演技。

今年2月まで1年間、Netflixで配信していた。

リクエストすればまた配信してくれるかも? よろしく!



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あなたはどういう時に「文句を言うな!」と言いますか?=これは日本人を支配するための言葉? [MyOpinion]

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あなたはどういう時に「文句を言うな!」と言いますか?=これは日本人を支配するための言葉?

一世代上になるが業界の先輩がいる。若い頃からお世話になっていた。とてもいい人なのだが、彼の困った口癖がある。

「文句を言うな!」

すぐに怒鳴る。他にも

「人のせいにするな!」「努力が足りない!」

でも、これは先輩に限ったことではなく、子供の頃から親や教師、大人たちに散々言われて来たことである。「年上の人から注意されている状態」だ。が、よくよく考えると、おかしなことに気づいた。

これをブラック企業に置き換えよう。低賃金の長時間労働。不満を訴えると上司に「文句を言うな!」と叱られる。業者からの納品が遅れたために作業が遅くなる。事情を説明すると「人のせいにするな!」とまた叱られる。結局、作業は深夜までに終わらなかった。上司はこう言う「努力が足りない!」

全て対外的な理由で問題が発生。なのに先の3つの言葉は全て個人のせいにして叱るものだ。つまり「自己責任」を指摘している。問題が起きても、第三者のためのトラブルでも「お前の努力が足りない」と個人が問題であることにされてしまう。

「文句を言うな」とはどういうことか? 考える。「説明しても、弁明しても、理由を挙げても」それを「文句」と解釈されてしまう。文句=言ってはいけないこと。それっておかしいよね? 説明や弁明がなぜ=文句になるのか? 「人のせいにするな」は「いつもお前が悪い」という意味。「努力が足りない」も「お前がもっと頑張れ。無理しろ」ということ。全て個人への強要だ。

翻って言うなら、その言葉があれば、個人を管理する者。組織が批判、攻撃されないで済む。とても都合のいい言葉だ。批判をする。反論をする。説明を求める。それを「文句を言うな!」と一喝する。子供の頃からそう言われているので黙ってしまう。「人のせいにするな」も「人のせいにして、自分は悪くないというのは恥ずかしいこと」と言う子供時代からの刷り込みがある。身勝手で無責任だと思えてしまう。

「努力が足りない」

も同じ。努力不足を棚に上げて何を言う!と言うこと。全部、上の人。管理者が、下の者を封じ込める言葉だ。それは子供の頃から言われ続け、状況がそぐわなくても、そう言われると、反論しづらい気持ちになる。「僕が悪いのか?」「努力が足りなのではないか?」そんな風に罪の意識を芽生えさせる言葉なのだ。

管理者にとってはとても便利。それらの言葉を使えば人々を抑え込める。似たような言葉はもう一つある。「自分だけ良ければいいの?」これでは酷い状態に押し込まれてもはい出すことができない。日本人はその種の言葉で長年、管理、支配されて来たのではないか?学校で、会社で。だが、今になり、それに気づく。

文句ではない。問題点を上げているのだ。人のせいにするのではなく、責任の所在を確認している。努力が足りないと言うのなら、正当な評価をしろ。どれも、上の人、管理者に問題があることを指摘する意味となる。そういうことなのだ。管理者の責任を追及する言葉を封じる表現なのである。国や会社はそうやって個人に罪の意識を植え付け、支配し、管理して来た。いかにも日本的!と思ったりしている。


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