自宅入院生活。少しずつ回復中 [2019]
自宅入院生活。少しずつ回復中
このところ雨が降ったり、晴れても日差しが少し弱くなった気がして、多少は過ごしやすい。夏も終わりが近づいているのだろう。多くの方が心配してくれているので、その後の状況を書くと、自宅入院状態は続いている。が、駅までは行けるようになる。その手前のファミレスにも行けた(ワインを飲んだ日)。
しかし、張り切ってリハビリするとまた、ダウンの可能性がある。かなり良くなり映画館まで行けるようになった頃に、北海道=沖縄イベントがあり、その後「れいわ」応援で撮影したのが致命傷でまたダウンした。50代も終わりに近づくと無理が効かないので、慎重に療養が必要。何より過労は急に復活するものではない。何ヶ月もかかるのが通常だ。
重度の過労というのは数日寝て治るものではない。休まずに働いた年月に取るべき休日を無理やりまとめて取らされるようなもの。うつ病の症状にも近く、全く何もできなくなる。身体機能は低下。集中力も持続せず、ひたすら休むだけ。体が「もう限界だ。これ以上無理すると死んでしまう!」という警告を出し、強制執行するようなもの。
少しずつ回復。今はfacebookを書くことはできる。近所のスーパーなら行けるが、まだまだ何か仕事を始めるのは厳しい。もう少し夏休みだと思って大人しくしている。毎回、激励やお見舞い。「もう、そろそろ活動してもいいのでは?」というコメントを頂くが、お気持ちだけ頂いておく。メッセージはいらない。映画業界を志す人たちのために「監督業はこんなものぜよ!」ということを伝えたくて記事にしている。よろしくね。
原発事故の悲しみを描いた話題作。山本太郎・出演映画「朝日のあたる家」予告編 [My Movie]
都会と田舎。日本人とコミュニケーション? [MyOpinion]
都会生活は華やかで楽しいけど、人は冷たく孤独?
田舎生活は娯楽が少ないけど、自然と人情がある?
というようなこと、よく言われる。ただ、アート関係の仕事をするなら、都会でないとダメ。マスコミ関係もそう。地方にもテレビ局もラジオ局もあるけど、多くの若い人は大手を目指すことが多い。また、報道を仕事とするなら一度は東京を経験した方がいい。
いろんな価値観や方向性があるが、映画もまた東京でないとダメだ。報道と同じ。映画会社も俳優事務所も、編集スタジオも、映画館も多くが東京だからだ。そんな理由で高校卒業後の人生をスタートさせたが、映画監督業も14年になり、撮影現場でも最年長になってしまった。あと、2年で60歳というとんでもない年齢にもなる。
それとは別に都会と田舎の違いを考える。
僕が撮る映画は田舎を舞台にした、その地方の魅力を描くものが多い。それは本心で描いている。大自然、田園風景、お寺、神社、緑に包まれた街は本当に素敵だ。アメリカでは見られない美しい風景だ。
でも、同時に僕は田舎が嫌いだ。狭い社会で、人の噂ばかりして、プライベートに踏み込んでくる。成績がいいとか悪いとか、どこの大学に合格した、どの会社に入った、結婚はいつか? 子供が生まれたか? 奥さんはどんな人だ。近所の人たちがそんなことに強い関心を持つ。あれこれ聞いてくる。
が、幸い僕はそんな田舎暮らしはほとんでしていない。衛星都市でアパート暮らしが長く、地方ではあるが、昔ながらの田舎ではなく、近所との長い付き合いもない。親の仕事の都合で数年ごとに引っ越しをしたので、子供の頃からよく知る近所の人なんていない。
ただ、正月に実家に戻ると、親戚にその種の人がいて面倒だ。幼い頃に会った切りのどこかの親戚。馴れ馴れしく寄ってきて「学校は面白いか?」なんて聞く。「お前誰だ?」という世界。「大学はどこに行く?」それがあんた何か関係あるのか?とムカつく。いや、親戚どころか親でも、教師でも、放っておいてくれよ!と思う。大人だけではない。大阪の高校に行っていたが、クラスメートも同じ。
「お前は***大学やろ!」
とか声をかけてくる。大きなお世話だ。そのくせに自分が志望する大学名は言わない。言えば必ずこう言われるからだ。
「あほ。お前には無理じゃ!」
それなりの進学校だったが、多くの生徒たちアホだった。
「勉強するのは嫌。でも、恥ずかしくない、有名な大学に行きたい!」
という思いを皆、抱えていた。何を学びたいではない。恥ずかしくない一流校だ。大学は?と聞かれた時。東京で言えば「早稲田です」とか「慶應です」と言いたい。そうすれば「へー凄いですね」と言ってもらえる。頭のいい人だと思われたいのだ。下らない。まあ、関西という地域性もあるかもしれないが、クラスメートたちはそんな感じだ。
人は認証欲求というのがあり、
認められたい。褒められたい。という気持ちがある。だが、それは努力して成果を上げてこその賞賛であり、努力せずに、褒められたい。それも何を勉強をしたか?ではなく、大学名で評価されたいというのは本当に最悪。だが、「努力をしても無駄だ。汗を流さずにサラッとやって、評価されたい」という時代もあったかもしれない。60年代は努力、汗、涙の「スポ根」漫画の時代だったが、70年代の終わりには、それがカッコ悪いという風潮が出てきた。
80年代に入り、それをバカにするパロディにすることが受けた。高度経済成長期から安定期へ。さらにバブルに向けて進む日本は、そんな風が吹いていた。クラスメートたちはそれを敏感に受け止めていたのかもしれないが、僕は下らない。と思っていた。そして「将来は映画監督になりたい」などと、少しでも口を滑らせようものなら、大批判。
「お前、才能あるのか?」「無理に決まっている」「何、夢みたいなこと言ってんだ」「あほちゃうか?」「子供か?お前は」
クラスメートだけでなく、教師も親も、大人も皆、そういう感じだった。そしてその中に映画界で働いたことのある者。映画関係者が友達や親戚にいるものは一人もいなかった。にも関わらず、聞きかじった情報だけで、あーだこーだ。説教してくる大人がいっぱいいた。今、考えると現実を知らない10代に、「世の中はそんなに甘いことものではない」こと伝えたかったのだろう。だが、その中に現実で戦い、夢を実現した大人は一人もいない。それどころか夢を目指して頑張った人もいない。
夢を諦め、真面目に勉強し、少しでもいい大学に合格し、一流企業に入ることこそが大事!という話に結局なる。要は、国策に乗せられていた訳だ。これが戦時中なら「大人になったら、兵隊になり戦争に行き。天皇陛下のために死んでいく」という教育になる。指導者たちが都合のいいように国民をコントロール。戦後は優秀なサラリーマンを量産して、経済大国になること。だから、皆、必死に勉強した。本当の戦争から受験戦争に移行したのだ。
無意味な授業。
大人になって役に立たない教育。何のため? 当時の僕は疑問だらけだった。が、これも今思うと、与えられたことを確実にこなす能力を図り、それを成績にして大学で分け、上から優秀な者を国家、大企業が採用していくためだ。言われたことしかしない。余計なことを考えない。反抗しない。でも、優秀なサラリーマンを育てるためだ。ただ、僕はそれに向いておらず、当時はまだそのカラクリは気づいていなかったが、大学進学はしなかった。
結局、アメリカの大学に行くことになる。当時から与えられたことをせずに、興味のあるしかしなかったので、それが映画作りに大きなプラスとなる。いくら数学や化学の成績が良くても、それは映画作りには生きて来なかっただろう。また、田舎生活が短かったこと。あれこれ近所の人に言われることが少なかったのも良かったのだろう。考える力がない10代があれこれ、大人から言われると「やはり、夢を追うなんて無理なのかああ」と思うようになるだろう。が、これも戦時中で例えるなら近所の人が寄ってたかってこういうのだ。
「お前は非国民だ!」
その後、田舎暮らしをすることはなかった。親戚付き合いもしない。実家の近所のも知り合いがいない。業界の先輩に説教をされるのなら分かるが、何年も映画館に行ったこともない連中にあれこれ言われるのは耐え難い。そもそも、先輩のアドバイスもあまり聞かないし。だが、最近になり、あれこれ言ってくる人たちゴマンといる環境と出会ってしまった。Facebookである。まさに地方社会。何を書いても、あれこれ言ってくる。質問する。アドバイス。説教。お前ら、会ったことないだろ!誰だ!って感じ。
都会で孤独に暮らす人には、都会にいながら田舎のように人情に触れることができる。だから、普及したのだろう。が、僕が一番嫌いなパターン。何度か休止したが、現在は「批判、反論禁止」と告知して、続けている。映画の宣伝ということがなければ、やる必要はなかったのかもしれない。それでも応援してくれる人たちもいて、ありがたい部分もある。ただ、最近はまた選挙がらみであれこれ言う人たちがいる。
「私は賛同しません!」「それは違います!」
「山本太郎は客寄せパンダだ! 騙されてはいけない!」
誰もあんたの意見聞いてないし、賛同してくれなんて書いていない。何より、お前は山本太郎の何を知っている?という感じだ。何で人はそんな風にあれこれ頼んでないのに言ってくるのか? 高校時代に、仲がいいわけでもないクラスメートが
「お前、どこの大学へ行くんや?」
と聞いてきた頃を思い出す。ま、それはFacebookならでは問題であり、ブログではあまり起きない。返事や交流をしやすいのがFacebook。それが目的なのだ。本来、僕はブログだけやればいいのだろう。しかし、その双方向性というのこそが現代であり、昔のような一方通行では情報は拡散できないのだろう。色々考えてしまう。