「ドキュメンタリー沖縄戦」を楽しみにしてくれている皆様へ [2019]
「ドキュメンタリー沖縄戦」を楽しみにしてくれている皆様へ
いつも、このブログを読んでくれて感謝。作品は今年3月に完成しているが、未だに上映準備が進んでいない。特に圧力がかかっていると言う訳ではないが、色々あって止まっている。
問題を解決。まずは、沖縄で完成披露試写会を計画。うまくいけばこの秋。それが実現できるように頑張っている。
すでに沖縄取材のエピソードは記事にしているが、上映が決まれば、沖縄戦に関することを詳しく書いていきたい。それまでは、あれこれ別の話も書いて行く。今は、参議院選の記事が続いているが、今の政治も沖縄戦と複雑に繋がっている。
戦後の全ては沖縄戦と関連しており、それらを見つめることで日本という国が見えてくる。上映に関しては決まり次第。また、このブログ上で発表させてもらう。
「山本太郎&れいわ新選組」が目指すのは政権獲得だけではない。 洗脳された日本人を目覚めさせること?「ん?洗脳?」 [れいわ新選組]
「山本太郎&れいわ新選組」が目指すのは政権獲得だけではない。
洗脳された日本人を目覚めさせること?「ん?洗脳?」
太郎さん。戦略が見事だ。
本来なら選挙で議席を取り、数を増やして与党となって初めて改革に着手できる。が、その道のりはあまりにも長い。だが、山本太郎は最初の段階で一石を投じ、世間を目覚めさせることに成功している。例えば重度障害者のふなごさんと木村さんを候補に立てたこと。それによって障害者も働けると言うことを示し、そのために国の制度が邪魔をしていることを浮き彫りにした。政権を取って改革するのではなく、候補者を立てるだけで、多くにそれを伝えた。
そんな中で最大のテーマと思えるのは、日本人改革だ。僕が以前から何度も何度も書き、訴えて来たテーマでもあるので、強く共感してしまう。日本人は戦後70年。教育と言う名の洗脳によって、上から与えられたことを確実する=サラリーマン・ロボットとして育てられた。優秀だが、自分で考えない。意見を持たない。疑わない。指示に従う。反対しない。文句を言わない。そんな存在に育てられた。
それは戦後の経済復興には役立ち、
経済大国になった。が、優秀だが考える力がない。与えられたことしかできない。そんな民族は今、新しい時代を乗り切ることができないでいる。バブル崩壊。リーマンショック。そんな時代に消費税を上げ、さらなる不況を作り出してしうまう。これまでの教育で育った人材ではもう、日本の舵を取れない。
それらの人材は、別の意味でも役立って来た。上から与えられたことを疑わず、鵜呑みにし、信じ、従う人たちは、マスコミを利用した与党の思想コントロールにもコロッと引っかかった。「議席予測。自民圧勝」と報じれば
「あー俺たちが投票しても無駄だな...」
と選挙に行かず、結果的に組織票を応援。逆に「見事に答弁している」総理の編集された映像をNHKで見て「安倍さん。頑張っているなあ」と思い込み、投票する。「自民支持率50%」を疑う人も少ない。
諦め作戦とフィクニュースで国民を操作。たった20%ほどの票で政権を牛耳るのが今の自民党である。多くの人が不満を持ち、批判的なのだが「どうせ俺たちじゃ....」と諦め毎回、与党の思う壺となっている。「国民がバカだから」と言う意見もある。が、それ以前に「考える力」のない大人を育て上げた教育に問題がある。
さらに「3S政策」
これはGHQが導入したと言われるが、歌、スポーツ、SEXに国民の関心を向け、政治に興味を持たさないと言うもの。それも見事に成功し、興味ないどころか「政治になんて関係ないんだよ〜」と自慢する若者を大量に育て上げている。僕もその一人だ。こうして教育と政策で見事に国民を飼いならし、思想をコントロール。権力を握り、金持ちたちと日本の支配者となったのが今の与党である。
そんな連中を引き摺り下ろし、本来の、国民のための日本を取り戻そうと言うのが山本太郎のテーマだ。そのために必要なのは、政権を獲ることなのだが、その過程において日本人を目覚めさせると言うのも目的だと思える。障害者に目を向ける。消費税の正体を暴く。そして「れいわ、頑張れー」と言う応援だけでなく、支援者一人一人が考え行動することで、日本人を覚醒させると言うテーマなのだ。
洗脳から逃げ出そう。
思想操作から外れよう。本当に大事なことは何か? 支配者たちの正体を見つめろ。庶民には大きな力があることを思い出せ。それが山本太郎とれいわ新選組のもう一つのテーマだと考える。
「れいわ新選組に**して欲しい」「山本太郎さん**してください」はもうやめよう。あなたが出来る応援を探そう! [れいわ新選組]
「れいわ新選組に**して欲しい」「山本太郎さん**してください」はもうやめよう。あなたが出来る応援を探そう!
Facebookのコメント欄。Twitterを見ていると、多くが「れいわ新選組」応援を綴っている。何度も書くが「太郎さん。頑張れ!」「れいわ応援!」ではダメ。応援の熱量というより、応援者のメンタリティ、考え方から変えて行かないと政権は狙えない。その話をする。例えば、あるFacebookでこんなコメントを見つけた。
「れいわ新選組を広げて行くにはこんな方法はどうでしょうか? ①太郎さんの演説を撮影したビデオの上映会をする。②東京だけでなく地方でもする。③ネットをしない人たちにもアピールできる」
長々と綴っていた。最後に「ぜひ、やってください!」とある。はあ? 誰がやるの? れいわ事務所? 太郎さん? ボランティア? そのコメントを読んだ誰か? そのFacebookをやっている人? そもそも、なぜ「やってください」なのだ? なぜ、自分でやろうとしない? れいわや太郎さんに提案するのではなく、僕らが「何をできるか?」ではないか?
上映会を思いつたなら、自分たちがやってみる。なのになぜ「ぜひ、やってみてください」になるのか? コメント主が悪いのではない。これまで日本人が受けて来た教育は、与えられたことだけするだけのもの。自主的に何かをやると、あれこれ注意されて来た。いつしか日本人は、
「***して欲しい」「***した方がいいです」
とか要求はするが、自分から動かない民族になってしまった。だから、与党に長らく騙されて、踏みつけられて来た。大企業と金持ちを優遇して庶民にツケを回されたのだ。それを打ち破ろうとしているのが、山本太郎だ。
「何をしてもらうかではない。自分たちが出来ることを探せ!」
彼のメッセージはそれだ。選挙中に言っていたこと「友達に知らせてほしい」「はがきを書いてほしい」「フレンド票を増やしてくれ」つまり「れいわ」だけの戦いではない。
「あなたたちの生活を賭けた戦い。あなたたちが出来ることを探し、参加する戦いなのだ。そうしなくては勝てない!」
太郎さんはそう伝えようとしたのだ。「提案」や「リクエスト」ではない。僕らが動くこと。また「提案」と言う言葉はとても危険。
「これやればきっと広がる!私は貢献している!」
と満足しがち。考えてみよう。上映会の会場費は? プロジェクター代、宣伝費、技術者の人件費はどうするのか? 集客の方法は? 地方に行くなら、それらの運搬はどうするのか? それら問題を考えずに「上映会すれば広がる!」と言う安易なノリで言っていないか? 提案するだけだから細部に気づかない。自分でやってみれば具体的な問題に気づく。
「だって、私は忙しいし、お金もないから出来ない...」
と言うかもしれない。だったら、地方を回るとか言わずに、自分の家で上映会をする。動画はYouTubeにいっぱいある。金はかからない。上映会でなくてもスマホで友達に見せる。飲み会でみんなで見る。自分ができることをする。それこそが「れいわ」応援であり、太郎さんが求めること。
僕のFacebookにも日頃から「過去の作品の無料上映会をしてください」「戦争反対の映画を撮ってください」と言うリクエストが来る。が、その全てが実現に物凄い労力と金額がかかる。あれこれ考えて完璧なプランだと思う人。思いつきでリクエストして来た人。いろいろある。もちろん、プロのプロデュサーではないので当然だが、それらは子供が
「将来はパイロットになりたい!」「お花屋さんをやりたい」
と言うのと同じ。夢を語っているだけ。同じレベルでは無意味。今回は「れいわ」のため太郎のために、自分ができることを探し、考え、行動することが大切。誰かがやってくれることを期待したり、誰にやって欲しいことをコメントするのではなく、あなた自身がやれることをやる。それが「れいわ」への本当の応援ではないか?