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「僕はジャーナリストではなく、記者でも、研究家でもない」それを分かってくれない人がいる?! [2018]

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「僕はジャーナリストではなく、映画監督業をやっています。記者でも、研究家でもありません」それを分かってくれない人がいる?!

以前、こんなコメントがあった。驚いた。

「最近、サボってませんか? 取材記事が少ないですよ。もう少し、外へ出ていろんな取材をした方がいですよ!」

はあ? 僕は記者でも、ジャーナリストでもない。何で外に出て取材? 勘違いしている。僕は映画制作するときに、いろいろ取材する。そことを記事にする。基本は応援してもらっている人い進行状況を伝えるためだ。

それをフリーの記者か何かと思ったようだ。もし、そうだとしても「サボってませんか?」って、言われる覚えは無い。購読料をその人からもらっている訳ではない。が、その手のフリーペーパーのようなネット記事。最近は多い。もちろん、それらは広告料を取っている。金にならないFacebookで記事を書いたりしない。

が、それは専門的こと。分からない人が多い。先日も沖縄戦プロジェクトの記事を書き。「2年前」と何度も文中に書いているのに「***へも行ってください」「***も読んでください」とのコメントとメッセージがかなりの数来た。アドバイスや提案はありがたいが、それらのほとんどはもう訪れたり、読んだりしている。実際は次の次の段階に進んでいる。

でも、好意であることは分かるし、記事の表現が分かり辛かったのかも?と思え、1人1人にお返事をさせてもらった。が、今もその手の連絡をしてくる人がいる。僕が直接知る人ならまだいいが、中には原発の研究をしている人と思っている人からのメッセージもあった。

そこで記事にもーこれは2年前の話で現在は...ーという注意書きを添えるようにした。それでも「**を読んで下さい」とのメッセージが来る。また以前のように、そこからトラブルになる可能性も感じる。で、今後はこれまで通りに、コメント、メッセージには御返事しないということにさせてもらう。

本人は親切のつもりだが、誤解に基づく親切は親切ではなくなる。もちろん純粋な好意の方もいるが、まじめなばかりに「アドバイスしているのに、礼もなしか!」と怒り出す人もいる。返事したことでそうなることが多い。なので従来通り、御返事しないという形にさせて頂く。よろしくお願いします。


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沖縄戦プロジェクト通信ー第1回取材、辺野古に行ってみた! [2018]

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沖縄戦プロジェクト通信ー第1回取材、辺野古に行ってみた!

十分な勉強はできていないが本で10年勉強してもしれている。そんなことで1回目の撮影がスタートする。といっても取材+撮影。まずはいろんなところへ行き情報を集め、知ることが大切だ。

映画、ドキュメンタリーでも、題材となる部分しか知ろうとしない人がいるが、その周辺も勉強しないと、本丸の姿は見えて来ない。日本に来た外国人が東京だけ取材した「これが日本だ!」と思ったら、大間違い。東京を支える地方があっての日本。それを対比することでリアルが見えくる。

福島第1原発の事故でも、東京では「福島の人、可哀想...」という人が多かったが、あの原発は東京に電気を送るために稼働していたのだ。そんなふうに福島は東京のために、危険な原発を受け入れ発電。なのに東京は大きな直接的被害がなく、福島は大変な事態となった。が、東京に住む多くの人たちは同情するだけで、その事実を知らない。

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同じように戦闘があった地域だけを取材しても、沖縄戦は見えて来ないだろう。で、1回目は余裕もあり、取材対象者探しもあったので、直接作品には取り上げない場所にも訪れた。

その1つが辺野古。東京にいても、この問題は伝わってくる。不勉強だった僕でも辺野古基地移設問題は知っていた。簡単に説明すると、普天間にある米軍基地を返還する。その代わりに日本は辺野古基地を作り、それを代替地として提供するというもの。その工事を政府は、地元の反対を押し切って強行しているのである。

その現場に行ってみた。那覇から車でかなりの距離。直接現地までは車で行けない。近くにある駐車場に車を止め、そこで乗り合いバスで移動する。

基地建設現場の前には多くの人が座り込みを続けていた。地元新聞社の記者さんがいたので、話を聞いた。ら、グループのリーダーの方を紹介してくれて、その方からも話を聞いた。地元の事情、政府側の思惑。いろんな話を聞かせてもらった。

照りつける真夏の太陽。物凄い暑さ。座り込みをするのはかなり高齢な方が多い。おじいちゃんやおばあちゃんがいっぱいいる。僕らスタッフは30分でギブアップしそうな温度。そんな場所で座り込みが続いている。

「監督ですか?」

と声をかけられた。沖縄に知り合いはいない。誰だろう?若い男性だ。その方、もともとは東京にいて「朝日のあたる家」を応援してくれた方だった。今は沖縄に住み。辺野古等の問題を発信しているという。ジャーナリストや記者というわけではない。個人で活動でしている。凄い。そんな方がいるから、東京にいても辺野古の映像を見たり、テレビが伝えない情報を知ることができるのだ。感謝。

辺野古のことはその後、いろいろ勉強した。そして三上知恵監督のドキュメンタリーも3本見た。僕が行ったときは大きな衝突や混乱はなかったが、実際に行くと、その現実を体感する。近所にトイレはない。車が必要。でも、駐車場までかなりの距離。猛烈な暑さ。日陰さえなくなる時間がある。そんな中で抗議の座り込みをする地元の人々。後日、鳩山由紀夫元総理も参加したニュースを見た。

そんな現実も見ながら沖縄取材は続く。

(この記事は1年以上前の話を書いたものです。プロジェクトは次々の段階。順番に掲載させてもらいます)


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嘉手納基地が見える道の駅 あの人のサインが! [2018]

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沖縄戦プロジェクト通信ー嘉手納基地が見える道の駅

この場所は有名。屋上から嘉手納基地の滑走路が一望。戦闘機の発信が目の前で見られるという場所。そこを訪れた。その建物の中にある喫茶店。表に有名人がサインした色紙がたくさん張り出されている。

その中におー!山本太郎さんのものを発見。太郎さん。沖縄に来たとき。ここを訪れていたのだ。さすが勉強家。そして僕の映画に出演してもらった人のサインを、沖縄で見つけたことも、とても嬉しい。

(この話は1年以上前の出来事を書いたもの。プロジェクトはさらに進んでいます。その辺のことは順に書いていきます)


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タイムスリップできない?!そうだ基地から勉強しよう? [2018]

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タイムスリップできない?!そうだ基地から勉強しよう?

一度、下見に行っただけで、その街が把握できる訳がない。何となくおぼろげに見えて来たくらいだ。LAに留学したときも、最初の1年は観光気分。その後、何年も住んで、いろいろ見えてきてロスアンゼルスという街のいい部分、悪い部分も分かった。本来なら沖縄に1年ほど住んでから仕事にかかりたいくらいだが、それは費用的に許されない。

いろいろ考えて、いきなり過去にタイムスリップして歴史を学ぶのは難しい。もちろん、学校の日本史のように暗記するだけならいいが(いや、この歳では暗記も大変)やはり、沖縄戦を理解し、把握せねば意味がない。その一つの目標、「誰かに沖縄戦を1時間以上語れるようになるか?」というのがある。

これはいつも決めていることで「朝日のあたる家」のときは原発について1時間以上話せるようになること。それが最初の目標だった。「青い青い空」のときは書道について1時間語れること。おかげで映画完成後、講演会でそれぞれについて1時間以上話をさせて頂いた。専門家までは行かないが、友人に「へーーそうなんだ。知らなかったなあ〜」といわせるくらいにならないと勉強したとはいえない。

先輩で「マルサの女」の伊丹組に参加した人がいるが、税理士になれるくらいに勉強したという。だが、低予算作品の場合は、もちろん制作費が少ないということもあるが、題材をろくに勉強も取材もせずに作ることがある。シナリオでも、製作会社が取材費をケチる(いや、出さない)ので脚本家はその題材を取材せず、ネットで適当に調べて、詳細な情報がなくても成立するストーリーを作りがち。

これは両方悪い。取材費を出さない会社。取材をしない脚本家。そんなふうにはならないように、僕は徹底取材を大切にしているのだが、どうすれば沖縄を把握できるのか? 下見に行ったことで、多少は沖縄という街を感じることができたが、訪れたのは那覇と周辺。有名な祈念館や施設には行ったが、それは観光コースでも行くところ。

考えた。現代の沖縄もよく知らないのに、いきなり過去の沖縄に行こうとするから難しい。それはタイムスリップと同じ?!明日橋を渡れないなら、現代からアプローチしよう。そこで沖縄の基地を紹介する本を読むことにした。基地だけでなく、沖縄戦のことも書かれている。というか、基地は沖縄戦なしに語れないのだ。

この本がなかなかいい。そんな訳で基地から沖縄を見つめることにした。(つづく)

(この記事は2年ほど前の話を書いたものです。多くの沖縄関係の本をすでに読み終わり、次の次の段階を進めています)


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まず、現代の沖縄から、そこから戦時中へ [2018]

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まず、現代の沖縄から、そこから戦時中へ

先に読んだ基地の本。とてもよかった。最初はマニアックな軍事マニア向けのものかと思ったが、沖縄戦をしっかり、分かりやすく解説してくれており、とても勉強になった。

でも、まだタイムスリップ(?)はしないで、次も現代から攻める。この本は沖縄戦の遺跡を時系列順に訪ねる形。それを旅行記としてまとめている。僕が現地で一番するべきことを、筆者がやってくれている訳だ。

訪問地でそれぞれどんな戦闘があったか? 当時の話も語ってくれる。めちゃめちゃナイス企画。僕のために書いてくれたような本だ。が、これすでに絶版のようで本屋にはなく、Amazonで中古を探して購入した。

すでに下見で行った場所の章は分かりやすい。やはり人は文字や文章。写真から学ぶより、現地に行くことが大事。俳優の卵たちにもよくいうのだが、いくら本で「演技論」を読んでもダメ。それならワークショップやレッスン。でも、本当に意味あるのは実際にカメラの前に立ち演技すること。舞台に立つことだ。

そのあとに本を読み、講師から学んだ方が成長する。これは僕自身にもいえることだと今回、痛感。最初から本を読んでも全く頭に入らなかったが、一度現地に行くと全然違う。高校の頃、よく思ったことだが、日本史をいくら教科書で学んでも実感できない。事実を記憶するだけの作業。

それなら坂本龍馬の足跡を追って京都を歩く方が勉強になる。が、当然、旅費もかかり、クラス全員が行けば大変な額。で、教科書で勉強するのだが、そんなことではなく、今の教育は紙の上に書かれたことを暗記することが「勉強!」ということになってしまった気がする。

映画監督になり、脚本家になって、役に立っているのは学校の授業で教わったことではなく、受験勉強をせずに、教科書に落書きしていたこと(コンテや絵の仕事をのちにすることなった)、映画雑誌を読んでいたこと、レコードを聴いていたこと、その歌詞を自分で訳してみたこと、FM番組を録音していたこと。録音したテープを編集したこと。8ミリカメラをまわしていたこと。そんなことが今、とても役立っている。

50代になると勉強し、新しい知識を仕入れることはあまりないが、沖縄戦を勉強することで、いろんなことを感じる。

(この記事は2年ほど前の話を書いています。すでにかなりの本も読んで勉強は進み、実際は次の次の段階に進んでいるので「この本を読んだ方がいいよ」とかの提案はご容赦くだされ)

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