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何かを知るのは犯罪の解明に似ている? [映画業界物語]

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何かを知るのは犯罪の解明に似ている?

「物事を知る」僕の仕事で例えれば原発について、沖縄戦について、戦争について知るための行動は、犯罪の全容解明に似ている。殺人事件が起きる。それを知るためには「まず被害者が何者か?」を調べる。次に「凶器は何か?」そこから動機が見えてくる。被害者の生活、住居、家族、友人を当たり、恨みを持つ者がいないか?を探る。

容疑者が浮かべば、被害者との接点、関係を調べる。容疑者の仕事、家族、住居、経歴を探る。こうしてなぜ、容疑者が被害者を殺すに至ったか? どのような理由で、どのようにして犯行を行ったか?が分かり、事件の全貌が分かる。

沖縄戦を調べるのも同じだった。ただ、あまりにも膨大なジャンルで困窮した。沖縄戦というのはノルマンディ上陸作戦やマーケット・ガーデン作戦とは違い、1箇所で行われた戦闘ではない。いくつもの戦闘、いくつもの事件、さまざまな悲劇を含めて沖縄戦なのである。

その1つ1つを把握するには数年かかるだろう。そこで出会うことが出来た戦争体験者の方からお話を伺い、その方が関わった戦闘や事件を中心に映画を作った。いくつもの戦闘があったが、主なものを基本、時間経過に合わせて並べ、その中で証言を紹介した。

ただ、一つ一つを深く描くと上映時間が物凄い長さになるので、紹介的な形で戦闘や事件を描いた。全貌を伝えることに重きを置いた。逆に1つの事件に絞って描いたのが「乙女たちの沖縄戦」だ。こちらは野戦病院に看護学徒として派遣された17歳の女子高生たちの物語。今も健在な方による当時の証言を中心に再現ドラマも加えた。

そんな風に、作品を作るためにはどこからどのようにアプローチするか?が大切だ。その前にはあれこれ調べる。が、沖縄戦は巨大な山。ヒマラヤに登るようなもの。どこからどのようにして登るか?を考えた。人はあまりにも膨大な情報を前にすると、思考停止する。何をどうしていいか?分からなくなる。

専門書を読んだが、まるで頭に入らない。歴史の教科書のようだ。事実を並べられても把握できない。そんな時は自分が興味あるところから切り込むしかない。沖縄戦ーなのに基地からスタートした。昔見た「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊や「サンダーバード」の基地。子供はみんな大好き秘密基地!ということで米軍基地の本から読み始めた。

あと、いくら本を読んでも実感できない。それは単なる知識にしかならない。あれこれ調べるのをやめて、まず沖縄に行った。インタビューを開始する前に、あちこち訪れた。戦跡だけでなく、観光客が訪れる場所にも行った。地元の料理を食べる。地元のマーケットで買い物する。過去の沖縄を知る前に、今の沖縄を知るところからスタート。

沖縄戦の勉強はそこからだ。3年の間に8回の取材。その後も映画公開や宣伝のために何度も訪れた。さらに「乙女たち沖縄戦」撮影。そこまで来て初めて、都内で本を読んでも理解が進む。仕事はもう終わっているが、今も沖縄戦の勉強は続けている。思い出すこと。日本の教育は教室の中で本を使って歴史を教える。文章とわずかな写真だけで学ばせる。現地にも行かない。体験者の話も聞かない。それでは歴史を知ることはできない。だから日本人は戦争は他人事と思うのだろう。

そして面白いのは歴史を知ると、現在が見えてくること。未来が見えてくること。過去を知る勉強ではないことを痛感した。沖縄戦時と同じことを今の日本政府はしている。ウクライナでも沖縄戦の日本軍司令官と同じことをゼレンスキーは叫んでいる。歴史を知れば彼にスタンディング・オベーションをすることなんてない。いろんなことが見えてくる。


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