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教育と社会が子供達の可能性を潰した=それが日本をダメにした背景だ? [社会政治]

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子供の頃から何かにつけ僕は話題になった。少年野球で活躍したとか、成績が学年で一番とかいうことではなく「変な子供」ということで認知?されていた。「面白い〜」と言ってくれる人と「バカじゃないか?」という人に分かれた。

最近、その理由が分かって来た。僕は昔から常識がなかった。「常識」とは何かというと、古くから日本人が大切にする価値観、風習、ルール、等だ。それらの中には大切なものがある。が、同時に新しい時代に通用しなくなりつつある古いものもあった。例えば「みんなと同じ」「身勝手はいけない」「みんな仲良く」=日本人が教えられなくても守ろうとするもの。僕はそれに欠けたようだ。

小学生の時。皆、野球が好きで、土曜日の夜8時は「全員集合」を見ていた。でないと、クラスメートと話ができない。でも、僕は野球は好きになれず、ドリフターズよりクレージーキャッツが好きだった。中学時代も男性クラスメートは皆「宇宙戦艦ヤマト」を見ていたが、僕は裏番組の「猿の軍団」を見ていた。昔から捻くれ者。右と言われると左と答えたくなる。

小学生の頃は丸刈りの子供がまだ多かった時代。だが、僕は長髪で「ヒッピーみたい」と良く言われた。おまけに小学校の6年間は冬でも半ズボンで通した。理由を書くと長くなるので別の機会にするが、昔から変わり者だった。

だから「こうでなければならない」という多くの日本人が持つ価値観にも懐疑的だった。しっかり勉強をしていい大学に行く。大学を出たらサラリーマンになる。人に言って恥ずかしくない大学、会社に入る。親を悲しませない人生を歩む。捻くれ者なので「そうではない生き方」を模索した。何より、その種の価値観がどこかおかしいと感じていた。

多くの子供たちは、反発したり、はみ出しながらも、やがて妥協、迎合、理解、それらの価値観を受け入れて社会の一員となる。結婚して、子供が出来、家庭を持ち、地道な生活を送る。が、僕はそれができなかった。そもそも常識がない。捻くれ者。まわりが反対しても「思い」を曲げることはできず、映画の仕事を選んだ。

留学を終え帰国して5年がかかり脚本家デビュー。それから10年かけて映画監督デビューした。その部分だけ聞くと「努力」の結果と思う人もいるだろう。でも、違う。捻くれ者なのだ。いろんな人たちのアドバイスや苦言を一切聞かなかったのでたどり着けた。「監督になんて簡単になれない」「食っていけない」「才能がないとできない」とにかく「諦めろ」「現実を見ろ」と言われ続けて来た。それら助言を素直に聞いていたら人生は終わっていただろう。

これは何か?というと、日本の教育や社会は子供たちの夢を押さえ込み、国が必要とする優秀なサラリーマンを育てるためのものであるということ。与えられたことを確実にする、そして自分では何も考えない会社ロボットを大量生産することが目的だったのだ。そのための教育。昔ならがら日本ムラの価値観「みんな、一緒」「勝手なことをしない」を利用して推進して来たのだろう。子供たちが持つ多くの可能性を探すこともなく、潰して回った。成果は上がり経済大国にはなった。が、バブル崩壊以降、低迷。アジアの貧しい国に落ちぶれたのは、与えられたことしかできない大人ばかり育て来たからだろう。世界の価値観が大きく変化。対応できないのだ。

結局、僕のように常識がなく、捻くれ者で、人のいうことを聞かない子供だったものが、更生することなく大人になったような存在が「思い」を果たすことになる。でも、それではいけない。子供の素質を大人が見抜き、理解し、応援し、伸ばし多様な人間を育ててこそ。彼らが大人になった時、会社や社会のために活躍できる。それが日本を成長させていく。そんな未来を潰して来たのが戦後教育と日本の社会だったのではないか?などと考えている。


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