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なぜ、学校で「沖縄戦」を詳しく教えないのか?=知られると困る人たちがいるのか? [沖縄の現実]

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なぜ、学校で「沖縄戦」を詳しく教えないのか?=知られると困る人たちがいるのか?

「ドキュメンタリー沖縄戦」を撮るまで、ほとんど沖縄戦について知らなかった。が、同世代に聞いても多くが知らなかった。若い人に聞いても知らない。その理由を考えたこと。舞台挨拶で何度か話した。(動画アップしています。このタイムラインを遡ると見つかります)簡単に説明するが、理由は2つ。

①学校教育で太平洋戦争は三学期のドタバタの時期。じっくり学ぶ時間がない。

②沖縄戦は映画化ドラマ化が少ない。真珠湾、ミッドウェイ、広島、長崎原爆、東京大空襲は繰り返し映画やドラマになるが、沖縄戦で有名なのは「ひめゆりの塔」(リメイク数本)くらい。「沖縄決戦」(岡本喜八監督)と言う名作があるが、映画ファンでも知らないことが多い。

これらが背景となり、多くの日本人は沖縄戦を知る機会を持たなかったのだ。実はもう一つある。沖縄戦は他の戦闘に比べて多種多様。一言では語れない。それゆえドラマにし辛い。まとめ辛いと言うことがある。そこで1時間45分で沖縄戦の全貌が分かる作品が必要と、作ったのが「ドキュメンタリー沖縄戦」である。

だが、理由は本当にその3つだろうか?と考える。取材をしていて、過去の出来事として終わりに出来ない問題がいくつも存在したからだ。例えば集団自決にしても、沖縄の専門家は「集団強制死」と呼ぶべきであると言う。調べれば、まさにその通りの状況が見えてきた。が、なぜ、そもそも「集団自決」と言う呼び名にしたのか? そこで思い出したのが「ノモンハン事件」だ。

司馬遼太郎だったと思うが、あれば「事件」ではなく「戦争」。ソ連VS日本の戦争だった。が、それを戦争と認めたくない。あくまでも事件の一つであるとして糊塗したい人たちが「ノモンハン事件」としたのではないか?てなことを書いていた。政府や軍部、それらに忖度する学者は自分たちに都合の悪いことを分かりづらい言葉に置き換えて隠そうとすることが多い。

最近でも「積極的平和主義」がそう。要は「戦争ができる国」にすることなのに別の言い方をして煙に巻く。「集団的自衛権」も同様。「守る戦いは正当だから、いいじゃん?」と勘違いするネーミング。実はアメリカが戦争すれば日本も参戦すると言うもの。「カジノ法」を「IR法」と言い換え意味不明にする。コロナ禍で言えば「東京アラート」「オーバーシュート」も同様。何のことか分からない。危険な状態であることがピンと来ない。それを目的としたネーミングだろう。

「集団自決」も同様。軍からの指示があったのに「集団自決」にすれば「個人の意思で自殺したんだ」と思えてしまう。軍に対する怒りや批判が起きづらい。それを意識したのではないか? そう考えていくと「沖縄戦」を学校で教えないのも都合の悪いことがたくさんあるので、教えたくないと思う人たちがどこかにいるからではないか?と勘ぐってしまう。「軍は住民を守らない」ことを多くの日本人が認識すると、困る団体や政治家がいると言うことではないか?

「ドキュメンタリー沖縄戦」の最後で証言者がこう言う。「教育の恐ろしさ」そのことで多くの住民が犠牲になった。同じように現代でもねじ曲げられた教育で、僕らは沖縄戦を学ばないようにされているのではないか?「国や軍隊が犯した許されざる行為を隠したいから」では?と考えてしまう...。


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altozano

教えたがらない国には、支配階級への忖度があるのだろうと思います。
恥ずかしながら、私も学生時代は歴史の授業が退屈で苦手でした。想像もつかない太古の昔から始まる授業…。いっそ、遡り授業にしたらいいのに、と思います。自分や自分の親が知っている時代から歴史を教えるのです。親世代にリアルな体験があると、家庭でも話題にしやすく、歴史が身近になります。先生だって実体験で教えられるんじゃないでしょうか。とにかく、現代史の教育が圧倒的に足りません(意図を感じますが)だから、おかしな輩がデマを吹聴し、よく知らない人がそれを真に受けてしまう。深刻な状態になっていると思います。
by altozano (2020-08-21 14:28) 

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