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『ドキュメンタリー沖縄戦』批評=耳を疑うような凄惨な事実を抑制的に語る(文芸批評家 佐藤清文さん) [沖縄戦ー感想]

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太田隆文監督『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』は沖縄戦をめぐる新事実の発掘を意図していない。通常のドキュメンタリーは新事実を提示して世間の関心を深めたり、高めたりしようとする。

しかし、沖縄戦に関して人々の間の認知欲求に格差がある。このような現状では、全体像を把握しないまま、新事実を知っても格差は必ずしも是正されず、知識の断片化にとどまりかねない。この映画は沖縄戦を局所的に撮るのではなく、時系列の編集が示すように、全体的に描いている。

「知られざる悲しみの記憶」は沖縄戦における人の命の軽さである。戦争ドキュメンタリーは概して新事実を重苦しく突きつける。確かに、そうした事実は深刻で、重い。だが、それは人の命が軽く扱われることで起きる。重苦しい編集はそれが伝わりにくい。

『ドキュメンタリー沖縄戦』は耳を疑うような凄惨な事実を抑制的に語る。インタビューの際、話の合間に関連映像が挿入される。ドキュメンタリー番組と違い、インタビュー・シーンは長々としておらず、その間のナレーションや効果音も禁欲的である。

その抑えた口調に重い事実を引き受けて生きざるをえなかった人の悔いや憤り、哀しさなどが入り混じった複雑な思いがにじむ。戦争は現実検討能力を奪い、認知行動にゆがみをもたらす。沖縄の人々は大切な人であるから守るのではなく、殺すと追いこまれる。体験者の淡々とした話し方が現実にあったことだと強く実感させる。

そもそも軍部は本土決戦の捨て石として沖縄を軽く扱っている。また、戦前の臣民教育もそれを用意している。悲惨な出来事は人の命を手段としてそのように軽く扱うことから生じている。それが知られず、内地の人々と共有されていない。そこに「知られざる悲しみの記憶」があり、今の沖縄にも関連する。『ドキュメンタリー沖縄戦』はこの記憶の共有への願いを人々に語りかけている。

(文芸批評家 佐藤清文さん)



2020年7月東京公開。その後、全国ロードショー。

公式HP=>https://okinawasen.com





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