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横浜20才前。矢沢永吉のレコードと「成り上がり」の思い出 [思い出物語]

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横浜20才前。矢沢永吉のレコードと「成り上がり」の思い出

「ミュージックフェア」になんと矢沢永吉が2週連続でゲスト出演。タイマー録画したものを見た。9月14日で70歳になる矢沢が久々のニューアルバムを出すので、今回は結構テレビに出ている。嵐の番組にも出たらしいが、それは見逃した。NHKのは見た。あれはもうほとんど「矢沢ヒストリー3」だった(知らない人には意味不明?)

矢沢のデビューは僕が中学生の頃。

当時の僕は日本の歌はほとんど聞かず、ビートルズやエルトン・ジョン。それが高校を卒業。横浜にある映画学校に進んだとき、同級生に矢沢の大ファンがいた。当時ベストセラーだった「成り上がり」を借り読み大感動。だって、矢沢はミュージシャンを目指して東京に出ようと、広島から夜行で旅立ち。なぜか横浜で降りて、そこで素人バンドを始めた。

僕は東京の映画学校に行こうと考えていたが、なぜか?横浜の学校にして、その街で学生映画を始めた。ダブるものがある。矢沢のレコードを聞いてみた。「おー日本の歌もいいぜよ!」と感じ、噂のコンサートにも行きたくなった。が、矢沢というと友人たちの拒否反応が強く、当時は暴走族のアイドルのような感じ。コンサートも不良の集会とか言われていた。

が、生で見てみたくて1人で会場へ。凄かった。1曲めから武道館が揺れた。最後はタオルが舞う。アルバム「I am a modl」の時だ。その「E’」「 Raising Sun」「Yazawa」「PM9」は全部聴いている。横浜スタジアム、神奈川県民ホール、横浜市立体育館と、いつも1人でコンサートへ。

その頃、矢沢はアメリカ進出を始めていた。

僕は横浜の映画学校に入学したが、最悪。3ヶ月で登校拒否。何のプラスもないと感じて学生映画をやっていた。が、高校時代からの夢があった。「アメリカの映画学校で勉強したい。ルーカスが学んだLAのUSC映画科に行きたい」と思っていたら、矢沢が先にLAに行ってしまった。

僕がやろうとしていることを矢沢が先にやってしまう。後追いしているように思われると悔しい。が、音楽と映画の違いはあれど、先を走る日本人がいること。励みになる。映画も音楽も日本に閉じこもって日本人だけを相手にやっていてはいけない。そう思っていたが、実践する人はいなかった。そんな中、ジャンルは違うが海外に出て行く矢沢がいた。

僕がUSC映画科に合格した頃。

矢沢のアルバム「FLUSH IN JAPAN」が全米で発売されたと知り、LAのタワーレコードで探した。見つからないので店員に聞くと「Yazawa? I have hard of that」というので、とんでもない勘違いしたものを持ってくると思ったら、本当に矢沢のレコードを持って戻ってきた。マジに全米発売されていたのだ。

そんな話を書き出すと、またまた長くなるので、まとめたい。僕がLA生活を始めたときに日本でリリースされたのが「Yokohama 20才前」だ。18才で大阪の高校を卒業。夜行列車で横浜へ。まさに20才前。そして矢沢の歌には横浜を歌ったものが多い。そんなことを考えながら「ミュージックフェア」を見ていると「ニューグランドホテル」を歌っていた。これもいろいろ思い出がダブる。

18才のときに読んだ「成り上がり」

落ち込んだとき、悩んだときに読み返した。ジャンルは違っても、同じように夢追う人の言葉には励まされる。まあ、僕は矢沢ほどビッグにもなっていないし、有名でもない。が、もしかしたら、今18才の高校生が映画監督になるの夢見て、僕のブログを読んでいるかもしれない。あの時の僕のように、それが何かの助けになれば...と毎日、あれこれ書いている。



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