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「嫌われること」を怖れ自分を曲げる人たちは、新時代を生き残れない。=それに気づかない日本の社会、教育、家庭? [嫌われる大切さ?]

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「嫌われること」を怖れ自分を曲げる人たちは、新時代を生き残れない。=それに気づかない日本の社会、教育、家庭?

映画「生きる」ではないが、子供たちのための公園が欲しいと主婦たちは思う。それを誰かが言い出す。

「役所に頼んで作ってもらおう。ちょうどいい土地あるし、そこは市が所有しているんだよ」

でも、必ず、こういう人が出てくる。

「どーせ、無理だよ。役所は年間計画で動いているんだから、今言っても予算がない!で終わりよ。市民のことなんて考えてないし」

そんな風に何かを言い出すと必ず、それを否定する人、批判する人が出てくる。僕の経験は前回書いたが「将来は映画監督になる!」というと、周りの人たちが次々にやって来て批判、反対を始めた。

「世の中甘くない!」「現実を見ろ!」「お前に才能あるのか?」

だから、しばらくは言わないようにした。映画界で仕事をしたこともない、友人が働いているということすらない。何も知らない大人たちが、我に正義ありという顔をして批判、否定するのだ。

子供の頃は作文で「将来のこと」なんて書いたりしたが、高校になると誰も夢を語らなくなる。語れば「無理だな」「甘い」「バカじゃねえか?」と同級生たちが、大人と同じことを言い出すからだ。そこで「会社員」と言えば(あまりそうは言わないが)誰も文句は言わないが、「映画監督」とか「俳優」と人と違うことをいうと大バッシングを受けることになる。

同じように街で、会社で、グループでも、人が言わないようなことをいうと、同じ目に遭う。だから「嫌われたくない」警報(?)が発令。皆、無難なことしか発言せず、自分の価値観を伝えたり、個性的な行動をしたりしない。その背景にあるのが「ムラ社会ルール」狭い地域で無難に暮らすためのそれに、無意識の内に従い生活してしまう。

しかし、今は江戸時代とは違い、狭い村の中だけで生きている訳ではない。交通機関も発達し、都会への日帰りも可能。なのにルールを守る。地方ほどではないが、都会でも「嫌われたくない」症候群は多い。会社員のほとんどが紺のスーツ。女子も同じ。「個性派を求める」という企業の面接にも全員が同じ服装で訪れる。

が、面接は「他の人とは違うよ!」ということを主張する場。「俺はこんなことができる」と個性を伝える機会なのに、皆と同じ服装で、同じような髪型というのは、「私はみんなと一緒ですよ。特別ではありません」と主張するのと同じ。かなり病んでいる。それほどに日本人は嫌われることを怖れ、そのために目立たない。皆と同じ。個性を出さないことに努力している。

それは思いっきり時代と逆行している。人と同じ。目立たない。個性がない。という人材なら誰でもいい!になる。それこそ機械がとって代わることができる。スーパーのレジも自動化が進んでいる。コンビニもそうだ。いずれ、どちらも無人になるだろう。

誰でもできる仕事は機械が取って代わる。公務員の大量リストラ時代が間も無く来るとも言われる。住民票は機械で取得できるところも増えている。誰でもできる仕事しか出来ない人材はどんどん必要とされなくなっている。

では、どんな人材が必要か? 人とは違う価値観や発想を持ち、特別な技能がある人。過去には縛られず他の人とは違う存在。その辺の人には出来ない、新しいことができる人材である。

つまり、ムラ社会ルールに縛られないタイプだ。にも関わらず、日本社会も、教育も、役に立たない人材を今も育てている。「嫌われたくない」ために個性や主張を曲げて、無難に生きようとするタイプが今も育ち続けているのだ。ここまで来れば分かってもらえるだろう。これから必要とされるのは「嫌われる」ことを怖れず、人と違う個性や主張ができる人。過去に囚われない人材。そういうことになる。



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