SSブログ

人はなぜ、知らないことを調べないで、勝手な想像で分かった気になるのか?=そんな人たちが今の政権を支えている? [MyOpinion]

11665374_853966774677628_8525276935748463728_n.jpg

人はなぜ、知らないことを調べないで、勝手な想像で分かった気になるのか?=そんな人たちが今の政権を支えている?

毎回、映像産業以外の会社や団体と仕事すると、思いもかけぬ誤解があり驚く。もちろん、彼らは映像製作を知らないのだから、知らない、分からないは仕方がない。ただ、知らないのに「これはこういうものだな!」とか「あれはこれに違いない!」と独自の想像で、決めつけることが多い。

例えばラーメン屋でラーメンを注文すれば10分15分でテーブルに届く。だが、あれは前の日からスープを仕込んであるから、その時間でできるのであり、1からスープを作る場合は十数時間から数日必要。それを

「遅い! 何でラーメン一つに、こんなに時間がかかる!」

と怒るようなものだ。料理でも、映画でも、小説でも、何かを作るのは時間がかかる。が、その制作現場を知らないと、まさか?何日も、何ヶ月も、何年もかかるとは想像すらできないのだろう。

かなり前だが、ドキュメンタリー製作依頼を受けた時、9割の取材が終わり、残り1割。その段階で一度、粗編集を見せるということになった。そうするとスポンサーはその粗編上映に社長、会長、来賓、専門家、評論家を招くと言い出した!?これは何か勘違いしているのではないか?と聞いてみると、

「一度、関係者に見せてお披露目したいんです」

何でそーなるの? 9割の取材が終わったと言っても編集はしてない。話をして3重に誤解があることが分かった。1つ目は

「9割を取材した。粗編集をする。あと1割を取る。編集をする。それを嵌め込めば完成」

と思ったのだ。まず間違っているのは「粗編集」というのは、文字通り「粗い」「編集」。正規の編集とは違い、素材を順番につないだだけのもの。撮影は作品で見せて行く順番通りには撮らない。だから、順番通りに映像を繋ぐことで、全体像を感じることができる。粗編はそのための初期的な編集。ただ繋いだだけ6時間ほどあった。それを通常の編集、あるいは本編集と思い込んだ。

前回の取材は1ヶ月ほど前。

その段階から撮影した9割のものを全て編集する時間などあるわけがない。編集は数ヶ月かかる。それを1ヶ月しか経っていないのに、9割の編集が終わると思ったららしい。もし、「編集には時間がかかる」ということを知っていれば、「1ヶ月に編集ができている」とは思わないし、「粗編集」の意味を知っていれば「本編集」ではないことが分かる。

でも、スポンサーを両方を知らず。さらに、「粗編集って通常の編集とが違うの?「という疑問も持たず。9割完成だ!と思い込んだのだ。聞いてみると誤解はさらに凄くて、

「9割分の映像には音楽やテロップ。ナレーションも入っていて、残り1割を嵌め込めば完成」

と思ったらしい。ということは残り1割を撮ったら、もう一度、音楽やテロップ。ナレーションを入れる作業をするために、再びスタジオを借りて、作業をすると思ったのか? 一度にやればそれなりの値段だが、あえて2回に分ければ値段は2倍になる。それは無駄というのも。さらに9割しかできていないものに、ナレーションや音楽を入れてどんな意味があるというのか?

聞いてみると、そこまで考えなかったという。

9割撮影して、粗編集すれば、9割完成!と単純に思ったらしい。それで会長、社長、来賓を集めて..試写会。それもおかしい。9割しかできてないものを皆に見せてどうするのか? 映画で言えば、クライマックスの撮影が終わっていないものを社のトップや外部に見せるようなもの。料理なら、まだ食べられない。煮込んでいる途中のものを社長に試食させるのと同じ。

9割で会社の重役、外部の関係者に見せるという発想自体が理解できない。それ以前に大きな勘違いがある。ドキュメンタリーの場合。9割撮影が終わったから、編集という訳にはいかない。

あとの1割で何が撮れるか? 

どんな証言が得られるのか?分からない段階で、編集はできない。9割の段階で「この人の証言をクライマックスにしよう」と思っていても、残り1割でそれを超える感動的な証言が得られれば、それをクライマックスにする。

証言内容が重なれば、当初クライマックスに予定していた証言は全面カットということもあり得る。新しい素材が手に入ることで、全体の構成を変えなければならない事態もあり得る。だから、ドキュメンタリーの場合は全ての素材が揃ってから編集をする。

その前にとりあえず撮れた映像を企画時に考えた順番通りに並べてみようというのが「粗編集」なのだが、そこから先に説明した誤解が始まり、重鎮を集めた大々的な試写会まで計画してしまったのだ。

そもそも、ドキュメンタリー制作を理解していないことが問題。プラモデルで、9割を組み立てた。あと1割のパーツが手に入れば、それを組み込んで完成というのはあり得る。劇映画で9割撮影した。そこまでを編集し、残りを撮影してそこに入れ込む。これもまだ分かる。が、ドキュメンタリーとはそういうものではない。先に書いた通り。全ての素材を揃え、吟味して、まず、当初の予定のような構成でいけるか?考える。

当然、撮れなかったものもある。

この時は特に一番メインとなる方のインタビューが撮れなかった。だから、クライマックスを何にするか?どの証言を中心に編集するか?を考え直さなければならなかった。それを9割の段階で考えて編集しても、残り1割の映像次第で編集を1からやり直すこともあり得る。

取材が終わらない段階で9割分を編集するのは危険であり、無駄な時間を費やす可能性が高い。まして、その時は1ヶ月しか時間がなく、9割分の編集をし、音楽をつけて、ナレーションを入れているはずという想像は、制作サイドからして常識を超えたものだ。

なぜ、9割しかできていないものを、スタジオを借りて、音楽家に作曲。ナレーターにナレーションを入れてもらって、MAをする必要があるのか? 9割のお披露目をするのか? その発想が理解できない。何の意味があるのだろう? 業界の友人に話すと

「バカ過ぎて話にならない! 

 それは映像製作を知らないだけでなく、あまりにも常識がなさすぎる!」

と激怒していた。僕もいろんな業界の人と仕事をするが、そのスポンサーはずば抜けた勘違いがあった。担当者は間に立ち、頑張ってくれたから最後まで行けた。会社が映像製作を知らないのは分かる。が、常識的なことから説明せねばならないことも多く、腹わたが煮え返ることが何度もあった。

でも、そこから感じたこともある。人は自分のいる周りのことしか知らないし、知ろうとしない。勝手な想像で分かって気になる。聞きかじった情報を精査せずに信じてしまうのだ。

沖縄戦を勉強する前、僕自身もある意味で同じだった。全く知らないくせに「沖縄の人々は米軍に酷い目に遭わされた」と思い込んでいた。が、事実を調べると間違いではないが、その背景には日本政府の酷い方針があったこと。そして米軍だけではなく、日本軍にも人々は酷い目にあったことを知った。

基地問題も同じ。アメリカの傲慢さのために未だに基地がなくならず、新基地建設まで行われていると思っていた。が、そこに日本側の大きな思惑があり、実はアメリカより日本の一部の人たちのために基地が存続していることを知った。(これはいずれ詳しく書きます)それも知らず。

「アメリカ酷い」

と思っていた。人は知らないことを調べようともせずに、聞きかじった情報で思い込み。勝手な想像で理解した気になり怒ったり同情したり。そして問題が起こると「知らなかった。分からなかった。なぜ、教えてくれなかった!」というが、自分から調べ勉強しなかったことが原因とは思わない。

それが全ての原因なのだ。スポンサーも映像作品を作るのであれば、それなりの勉強は必要だし、勝手な想像をせず、ことあるごとに確認すべきなのだ。でも、それをしない。だからトラブル。

それは同時に日本人全体に言えること。

選挙前に「自民圧勝、確実」とニュースが流れれば「どうせ俺の1票なんて」と選挙に行かない。あの党に投票するのは毎回、全有権者の2割。たった2割だ。多くの人が勝手な思い込みで棄権することが、今の政府を間接的に支えているのだ。知ることの大切さ。知ろうとしないことの愚かさ。強く感じる。



沖縄戦ビジュアル(宣伝用.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。